猫額洞の日々

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2015年 02月 06日

小林信彦「袋小路の休日」読了

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 一昨日もひとりで新宿に用足しに行った。今回はブティック上階にある
B・Oに立ち寄る。服屋の客には見えない男性たちが足早に、店奥の階段
に向かう。これしか行き道がないからとは言え、店舗兼住宅が店仕舞して、
新たに入口や水回りの設備を設けないまま店貸ししているような、その
規模が大きくなっただけみたいである。エレヴェータで下りて帰るときも、
最終的には店内を足早に地下道に向かう。なんか落着かない。

 家電量販店や貸しDVD店やB・Oなどの廉価品大量販売(貸出し)店の
店内のやかましさは、どんな経営戦略に基づくものなのだろう。ひっきり
なしの店内放送、ひとり入ってくる度に、最初に気づいた店員が、
 「いらっしゃいませ、こんにちは」。それに唱和するように、他の店員
全員が同じフレーズを繰り返し、フレーズ途中でも、帰る客があれば、
 「ありがとうございます」の連呼が加わり、ああ、もう、何を探しに来た
のか思い出せなくて、わたしは時々耳を塞ぐ。
 お金に糸目をつけずに、静かな店で買い物しないのがいけないのか。
貧乏だったら我慢するしかないのか。ものは十分ある世の中なのに、
まるで追い立てられるように消費活動をさせられる。

 と、いつもの怒りはあるけれど、本棚に集中しようとする。108円棚に小林
信彦「袋小路の休日」と「喜劇人に花束を」を見つける。ローレンス・ブロック、
殺し屋ケラー最新刊、半額棚にも無し。山田風太郎の小学館文庫版・戦後日記
シリーズをチェックするのを忘れていた。あんまりうるさいからだ!

 帰りの地下鉄で「袋小路の休日」に読みふけり出したら、中野坂上で隣に
坐った革ジャン青年も、ジャケットのない文庫本(角川文庫だった)を手に
している。彼は何を読んでいたのだろう?

 「袋小路の休日」の最初の短篇『隅の老人』は、
<十二社(そう)の台湾料理屋の二階で>行なわれる出版関係者の集まりから
始まる。おお!
 編集をしたりコラムを書いたりして生計を立てる男が主人公、彼が出会った
癖のある男たち、街の変遷が描かれる風俗小説だ。『隅の老人』と主人公が
呼ぶ老編集者(1950年代の60歳代は、もう立派に老人)が、新雑誌を立ち
上げる主人公に向かって、
< 「資金の続く会社なら、こういう新しさで突っ張っていけばいいんだが......。
 [中略]
  「始めた以上は、これで押し通すよりねえな。オンちゃんと同じ遣り方だが」
  オンちゃんのンにアクセントがあった。
  「オンちゃんて、だれですか?」
  「渡辺温のこった」>(p26)

 次の『北の青年』は1971年(台湾が国連脱退、中国が加入した年)の香港で
知り合った中国人青年との交流だ。『隅の老人』と同じ、過去形の挿入で語ら
れる物語で、つまり、冒頭の部分は現在形(『北の青年』の場合は、毛沢東の
死の直後、1976年)で始まり、ついで71年のできごとが回想され、そこで
主人公は件の中国人青年を知る。
 小学生のころは京劇学校に通い、15歳まで中華人民共和国の北京育ち、
1962年に親類のいる香港に移住、71年現在24歳のリュウ青年は、髪型は
マッシュルーム・カットにしていても、まだ「毛沢東語録」を読んでいると
いう複雑な存在で、主人公に、15歳で迎えた敗戦前後の自分自身を思い出さ
せる、中国版の分身だ。主人公がかつての敵性語である英語で仕事を得た
ように、彼は中国の資本主義地帯に住み、反共産主義国家の言葉である
日本語で成功しようとしている。
 彼は日本と香港を行ったり来たりしているので、主人公が会おうとすると、
行き違いになる。この乱反射する分身の描き方が効果的だ。

 描かれる人も街の姿も、いつも揺らぎながら、失われた過去に残される。
うつくしい。

     (小林信彦「袋小路の休日」 中公文庫 1983初 J)





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by byogakudo | 2015-02-06 20:33 | 読書ノート | Comments(0)


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