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猫額洞の日々

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2015年 02月 07日

小林信彦「喜劇人に花束を」読了

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 文庫版の表ジャケットに『「植木等と藤山寛美」増補改題』とサブ
タイトルされるように、『第一部 植木等』、『第二部 藤山寛美』
に、文庫版では『第三部 伊東四朗』が書き加えられた三部仕立て
である。三、一、二の順に読んだ。予想通り、最後の藤山寛美が
理解不能のまま終わった。関西系の喜劇の面白さやおかしさが、
いまの若手・吉本系・笑芸人でさえ、よく分からない__この数年、
夜もTVではなくmacにしがみつくことが多いので、"いまの"といっても
数年前の記憶だが__質なので、しかたないかもしれないが、小林信彦
が熱心に語れば語るほど、藤山寛美が遠ざかっていくような、縁なき
衆生だと分かった。

 1970年代になっているのに、大勢の劇団員を率いる"一座"を組んで
地元・大阪だけでなく、東京でも連続公演を打つなんて、時代を無視
した無茶だが、それを続ける意志が、続けたいという欲望が、...これは
醗酵した狂気とでも呼ぶべき何かなのだろうか。

 『第一部 植木等』より引用。
< [注:1967年]七月八日に、TBSの鴨下(かもした)信一ディレクター
 から電話がかかってきた。
 [中略]
  鴨下信一はのちに<読書家>としても知られることになるのだが、
 その数年まえ、作家・山川方夫(まさお)の家で、夜中まで、交互に
 <変った小説>の筋を紹介するゲームをやったことがある。山川方夫
 の紹介で知り合ったのだ。>(p86) 

 『第二部 藤山寛美』、新橋演舞場の建て替え(1979年秋から82年春
まで)に伴い、藤山寛美の率いる新喜劇は他の劇場を探すことになり、
浅草公会堂で公演していた。

< <浅草での公演>は、新喜劇にとって、さらなるイメージ・ダウンで
 あった。寛美に限らず、大阪の人は<浅草>について決定的な誤解
 しているらしい。
  浅草六区が興行のメッカだったのは敗戦までである。六区の劇場街は
 戦火をまぬがれたのだが、六区のにぎわいを成立させていた東京の下町
 そのものが壊滅したために、廃墟(はいきょ)のようになった。戦後すぐに
 モーリス・シュヴァリエの旧作映画を観に浅草へ行ったぼくは、そのさびれ方
 に呆然(ぼうぜん)とした。(のちにストリップを導入したのは、ふつうの映画
 や実演では客が集まらないからだった。下町の夜間人口の減少、<奉公人>の
 消滅が、六区をほろぼしたのである。)
  大阪の人は、そうした変化を知らない。<浅草=大衆芸能ゆかりの地>だと、
 いまだに信じている人が多い。>(P216~218)

     (小林信彦「喜劇人に花束を」 新潮文庫 1996初 J)





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by byogakudo | 2015-02-07 20:24 | 読書ノート | Comments(0)


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