2015年 02月 12日

片岡義男「彼女が演じた役__原節子の戦後主演映画を見て考える」1/2

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 不思議な日本語の遣い手、片岡義男による映画批評かつ
文明批評だ。

 片岡義男は、人生の大半の時間を日本で過ごしているけれど、
日本映画をほとんど見たことがない。小説を書く必要上、初めて
『東京物語』を見たが、
< 相当に不思議な映画を見た>と思う。
<知っているようでじつはほとんど知らない、妙な世界を、僕は、
 『東京物語』のなかに見た。>(p10)
 いえいえ、片岡義男の日本語に較べれば、不思議度は低いんじゃ
ないかと思うが、
<この映画は喜劇だ、と言いきることは無理なく出来るけれど、そう
 言いきっておしまいにしてしまうことには、確実にためらいが残る。
 不思議な映画だ、という感想はそこから出て来る。>(p12)

 <片岡義男 インタビュー>で検索してみて、三つのサイトから、
以下の事柄を知る。

 祖父は、山口県出身で、20代ごろにハワイに移民。父はハワイで
生まれ、育った日系2世。父がたまたま、日本を訪れている間に、
第二次世界大戦が勃発。ハワイに帰る船がなく、そのまま日本に
滞在している間に、見合いをして、片岡義男の母となる人と結婚。
 母は近江八幡出身で関西弁を使っていたが、片岡義男自身は
全くその影響を受けていない。東京で生れ、そのまま東京で育つ。
赤ん坊のときについた若い乳母が彼に東京弁で語りかけた。
 戦争が激しくなると父の故郷の岩国に疎開し、戦後もしばらく
留まったが、そこでは瀬戸内の言葉が飛び交っていた。
 片岡義男は祖父とは日本語とハワイ系の英語で会話、父とは
英語でのみの会話だった__というようなことを知る。

 日本語に距離を持っても不思議じゃない言語空間だ。『言葉を生きる』
という本が岩波から出ているようだが、片岡義男の日本語形成史を見る
上で、面白そうだ。日本語だけで生存してきた人間に、どこまで多言語者
が理解できるか、とも思うけれど。
 西江雅之にしても(彼の近頃の日本語はずいぶん滑らかになったように
感じるが)どこからこういう発想が出てくるのか、という日本語遣いだ。
多言語性は言葉の発せられるゼロ域から始動するから、単言語者から
眺めると、発想から不思議な言語展開に思えるのだろうか。

 柳原白蓮あたりがモデルのような、原節子の戦後の主演映画『麗人』の
批評でも、
< ほかの誰にも邪魔されることなく、[中略]、自分ひとりの意志と判断
 で選び取った[中略]方向に向けて、自分の創意のありったけを注ぎこむ
 ことを人生とし、[中略]ひとつひとつ夢を実現させていく。そのプロセス
 の全体が、自由というものだろう。
  実現したものを、幸せと呼びたければ、そう呼んでもいい。そしてこの
 ような自由を、[中略]誰もが自分の意志で選ぶことの出来る社会は、民主
 社会でなければならない。太平洋戦争に大敗したあと、アメリカからあたえ
 られたものとして、あるいはどこからともなく目の前にあらわれた次のもの
 として、このような民主と自由のなかへ、日本の人たちも入っていくことと
 なった。
  それから五十年をへて、彼らの手に入ったのは、大衆としての自由だ。
 [略]自分たちが消費し得るものしか生産し得ない大衆となって初めて、
 大衆としての自由を日本の人たちは手にした。自由のために闘うことは
 一度もなかったが、大衆消費社会を作る作業への加担は、存分におこ
 なった。>(p29~30)

 <目の前にあらわれた次のもの>というのは、戦争に続いて熱狂できた、
という意味での<次の>もののこと?
 <日本の人たち>というのも距離の確立した言い方だ。

 映画の粗筋や、画面で原節子の見せる微妙な表情を語りつつ、同時に
文明批評が行なわれている。2010年11月2日以来の片岡義男だ。

     (片岡義男「彼女が演じた役__原節子の戦後主演映画を見て考える」
     中公文庫 2011初 J)

2月16日に続く~





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by byogakudo | 2015-02-12 16:13 | 読書ノート | Comments(0)


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