2015年 02月 14日

どこからどこまで"大川"であるか?

e0030187_1639398.jpg












 昨日久しぶりに「伊呂波文庫」に行った。午後も2時を回ると
すぐ寒くなるので、S は部屋。ひとりで行く。
 おしゃべりしながら文庫本数冊、選ぶ。おしゃべりの中で、
大川の範囲の話になる。わたしの理解では大川=現在の隅田川
だが、「伊呂波文庫」さんはもっと細かく分類される。

 夜、買ってきた一冊、悠玄亭玉介「幇間(たいこもち)の遺言」
(集英社文庫 1999初 帯 J)を読んでいたら、
<隅田川には三つ名前があるんだ。水神(すいじん)から吾妻橋
 (あずまばし)までが宮戸川、吾妻橋から永代橋(えいたいばし)
 までが隅田川、そこから佃(つくだ)までを大川ってんだ。>
(p70~71)
 たぶん、これを踏まえた"大川"の分類であろう。

 しかし、先夜来、ときどき手にしている小林信彦「和菓子屋の
息子_ある自伝的試み_」(新潮文庫 1996初 J)によれば、
< まず、隅田川がある。
  土地の人はだれも隅田川とはいわない。<大川>である。>(p38)

 悠玄亭玉介は1907(明治40)年、浅草・三筋町生れ。
 小林信彦は1936(昭和7)年、両国生れ。いちばん近い橋は両国橋
(吾妻橋の南、永代橋の北)であろうが、川の呼び方は”大川”だ。

 なお、小林信彦による1930年代の下町の区分は、大まかな分け方
だが、
<日本橋区、京橋区(二つで今の中央区)、
 神田区(今の千代田区の東半分)、
 浅草区、下谷区(二つで今の台東区)、
 本所区(墨田区の南半分)、
 深川区(江東区の北半分)>である。(p52~53)

 少なくとも、戦前に生まれていれば、"宮戸川"はともかく、
今の"隅田川"流域は、全面的に"大川"ではなかろうか。

 と考えてきて、「春のうららの隅田川〜」という歌があったっけ。
瀧廉太郎「花」は1900年の作曲だ。公式名称が"隅田川"、通称"大川"
と理解すればいいのかしら? 

 "隅田川"で検索したらwikipediaに、
<古くは835年(承和2年)の太政官符に「住田河」として記されており、
 「宮戸川」などとも呼称されていた。
 江戸時代に入ると、吾妻橋周辺より下流は大川(おおかわ)とも呼ばれて
 いた。今でも古典落語などでは「大川」が出てくる。また、大川右岸、特に
 吾妻橋周辺から佃周辺までを大川端(おおかわばた)と称する。今でも佃
 には、大川端リバーシティ21にその名が残る。>
 (<リバーシティ21>...。日本のビルのネーミングセンスは、いつまで経っても
ダサい。)

 もし隅田川周辺に生まれ育っていたら、あのたふたふした流れを目にする
のが日常だったら、やっぱり"大川"と呼びたくなるだろう、"隅田川"では
なくて。
 いつか「大東京繁盛記 下町篇」を読み返すときには、"大川"と"隅田川"
の使われ方に注意して読んでみよう。

2月17日に続く~





..... Ads by Excite ........
[PR]

by byogakudo | 2015-02-14 21:06 | 読書ノート | Comments(0)


<< 小林信彦「袋小路の休日」に追加      O(オー)氏邸写真集 >>