2015年 02月 17日

悠玄亭玉介/小田豊二・聞き書き「幇間(たいこもち)の遺言」読了

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~2月14日より続く

 ホームズ譚は、名探偵ホームズ自らが語るのではなく、読者より低い
推理力の持ち主、ワトソンが綴ることで、読者に、推理に必要な情報を
伝える形式の物語である。
 悠玄亭玉介「幇間(たいこもち)の遺言」は、聞き書きをした小田豊二が
自分の身を、芸事の知識の最低レヴェルに置いて綴ることによって、芸事
や"お座敷遊び"に無知な読者も、追って読み進めることができる。

 昔の"大通人"と呼ばれる人の"お座敷遊び"が、どう面白いのか、楽しい
のか__きれいで色っぽくて心優しそうに見える芸者に取り巻かれ、宴を
盛り上げ、取り仕切る幇間の芸を楽しみ、高額な材料をさりげなく使った、
気の利いた室内(と想像する)で上等な飲食を楽しむ、ことらしいが__
それが楽しいというのが理解できないので、生野暮は困ったものだ。

 いや、宴の華やぎが理解できない、と言ってるのではない。パーティ
なら分かる。お洒落した人々が多くが集まり、あちこちで会話が交わされ、
自然ににぎやかになっていくのなら、楽しさも想像できるのだが、幇間に
無理難題を吹っかけて、あとで大金を支払ってくれるとか読むと、"大通人"
は自分の権力・政治力の反映を見ることが楽しくて"お座敷遊び"するの
だろうか。権力や政治力を行使する現場のどこが粋なんだか、暑苦しい
場所にしか思えないわたしは、とことん、酒席に無縁の衆生だ。
 「たいこもち あげての末の たいこもち」が、まさか富の再分配を詠んだ
ものとは思わないけれど。
 
 わたしが女だから、楽しさや面白さが想像できないのだろうか。ホスト
クラブという施設を想像してみて、しかし、以前TVで見たホストは、成り
上がり意識だけは強そうな、彼と何の話をすればいいのか想像もつかない
若い男性だった。そんな男たちに囲まれてお世辞を遣われたとして、どう
喜べばいいのだろう?

 それはともかく、落語家であり常磐津と日本舞踊の名取りであり、歌舞伎
役者の声色が得意な幇間が語る、日本芸能史である。日本の芸能は酒席や
売色の世界と切り離せない。むしろその中に育つ。

 六世尾上菊五郎というと、たしかコクトーが世界一周で日本に来たときに
「春興鏡獅子」を見た役者だ。
< あんまりにも、リアルだから、嘘(うそ)がなさすぎて、いわゆるクサ味が
 なかった。洗練されてたんだな、芸が。だから東京ではよかったけど、地方
 では受けない。>(p145)__なるほど、そういう芸風の天才役者だったのか。

 聞き手・小田豊二が、
<それも知らないの。困った人だね>と言われながらも__老幇間に対して
幇間のポジションに立ちながら__、清元と常磐津のちがいを訊ねてくれる。
非常にありがたい。

<要するに、浄瑠璃(じょうるり)ってえのがあるんだよ。物語を三味線と
 話で聞かせるわけだ。それで竹本義太夫(たけもとぎだゆう)という人が
 はじめた節が、いわゆる義太夫ってえやつ。常磐津文字大夫(もじだゆう)
 ってえ人がはじめたのが常磐津だ。清元延寿太夫(えんじゅだゆう)という
 人がはじめた節が清元節。常磐津も清元も豊後節(ぶんごぶし)から分かれ
 たんだけどね。
  そう、節がちがう。
 [中略]
 長唄ってえのは、ちがうよ。あれは歌だから。語りじゃない。物語を語って
 いるんじゃないんだ。踊りの伴奏みたいなもんだよ。
  歌舞伎を見ててごらん、竹本とか、清元とか常磐津って書いてあるのは、
 台詞や所作の間に「語り」っていうか、物語が入ってる。役者が台詞をいうと、
 「と、いわれるままになんとかが......」なんて語ってるのが、浄瑠璃ってわけ。
 ほんとは浄瑠璃が先にあって、それを人形で表したのが、人形浄瑠璃、つまり
 文楽だな。人間でやってるのが歌舞伎ってことよ。>(p238)

 三味線をバックに歌われるのが長唄で、語られるのが義太夫・常磐津・清元、
でいいのか? 豊後節はどこに入るのか? 無教養って嘆かわしい。

     (悠玄亭玉介/小田豊二・聞き書き「幇間(たいこもち)の遺言」
     集英社文庫 1999初 帯 J)





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by byogakudo | 2015-02-17 17:38 | 読書ノート | Comments(0)


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