2015年 02月 24日

無意識の虚偽あるいは女の自己欺瞞

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 女性が綴ったことだけ覚えている文章があった。どんな内容だったか、
おぼろな明け方の夢のようなもので、語ることはできない。そのとき
受けた感触とエッセンスだけ覚えている。
 頭の中で、カテゴリ「女のディスクール/無意識の虚偽あるいは自己
欺瞞」に分類して、そのまま忘れていたのだが。

 書き手が言説の支配力・強制力に無自覚なので、言説に導かれる
まま書いてしまい、彼女はそれらの文章を”自分の気持”と信じている
だろうが、はたから見れば、自己欺瞞に陥って行く過程が明らかだった。
 最初は多少、何事かへの謝罪の意図や配慮が見えていたが、最終的に
書き手たる"わたくし"は被害者であると宣言するに至る、面妖な文章だ。

 言説の強制力。これは、規格化された"標準語"で思考しようが、母語の
母語である"方言"で考えようが、言説の自動律的支配力・強制力には
変わりない。

 女だけが言説の自動律的支配力・強制力に負けて(?)しまうのでは
なく、自意識豊かで、無意識に対しては自覚的であるとされている男に
しても、油断してたり、女と同じように最初から欠如してる人が多々ある。

 べつに"言説"なんて名詞を持ち出さなくても、夜中に書いた手紙は文章の
勢いについ引きずられるから、朝、読み直して、訂正が必要なら書き直して
投函したほうがいいとか、こんな、一般常識に則った書き方をしてもいいの
だけれど、これ式に話を進めると、それこそ、言説の支配力・強制力が発生
進行する。文章を書いていて、自分が使った比喩に引っぱられて、思っても
みなかった地点に着地したりしたこと、ありませんか? (わたしはよくある。)

 「女には社会性がないからなあ」と、昔々の近代の男が慨嘆していた。
つまり客観性の有無のことである。レジ前の行列に割り込む中年女を目に
したときなど、彼は心の中で舌打ちしながら、無言でこの言葉を吐いている。
外に出ることが少なく、もっぱら自宅で茶の間の主をしていると、一列に並んで
順番に空いたレジに向かうシステムだと、一見しただけでは理解できないのだが、
良識ある男たちに言わせれば、社会性の欠如だ。

 中年女に替って述べれば、世の中で他人に混じって働く経験が少なかった
ので、周囲に対する神経の使い方を学ぶ機会が少なかったのである。男女の
就業機会の差の産物でもあるのだ。右翼の嫌う言葉を使えば、"ジェンダー"
の問題である。
 だからといって、彼女の無神経を弁護する気はない。さらさらない。公共交通
機関やファミリーレストランなどで、声高に人前での話題とは思えない話を長々と
している中高年女の群を見る度に、なんとか退治できないかと、トンカチを探す
あたし、である。人目を忘れ果てた生き物に、生きてる資格があるものか?

 出産行為に耐えられるよう、女が痛みに強い身体を持つことと、女の"無意識の
虚偽あるいは自己欺瞞"とは関連している。さらに、社会的にはずっと、不利な処遇
を受けて来た(という意識が数世代に渡る)ので、自己欺瞞から自己弁護への道は
まっしぐらである。傍目を気にせず無自覚で被害者意識満載、こわいものはない。
 女であるあたしに、ひとごとのように、女の無自覚さを指摘する資格があるのか。
あります。わたしは他人の欠点やミスには異常に敏感な受容体だ。と、仮定として
いないと、こんなことは書けない。

 曾野綾子はプロの書き手と自称・他称・公称する存在であるようだが__
週刊誌のコラムで目にした以外、何も読んでいない、読む気にも、もちろん
ならない"女流作家"だが__、名誉男性にして女流作家であれども、「女の
ディスクール/無意識の虚偽あるいは自己欺瞞」から逃れていない。

 2月11日の産經新聞の彼女のコラムは、本人は、アパルトヘイトを容認して
いないと言うが、そのまま読めば、まず介護の仕事をチャラいものだと馬鹿に
して__曾野綾子は介護事業やヘルパーたちに喧嘩を売ってるのかと読める、
言説の自動律展開である。__、チャラい仕事を低賃金で雇える外国人移民に
下請けに出し、だけど一緒の地域に住むとトラブルが起きるから、別の場所に、
まとめて住んでもらうほうがいい、と結ぶ。"移民をまとめて別の場所に住んで
もらう"ということは、すなわち二級市民のゲットー化推進である。
 いくら彼女が、そんなつもりはなかったと抗弁しようが、他の読み方は不可能だ。
言説の自動律に導かれるまま書かれた、不用意で無神経なコラムが、ネルソン・
マンデラ釈放の日の2月11日の新聞に掲載される。ジャーナリスティックにも
判断ミスだ。
 
 彼女が作家だと称するなら、自分の書くものとの距離の測定感覚がなければ
おかしいだろう。それを失っていながら、それでも自分は間違っていないと抗弁
するようなら、誰かが作家失格を告げるべきだ。
 たしか彼女はデビューのころ、"才女"と呼ばれていた。当時のことは知らないし、
読んでもいないがしかし、今は、そこらの中高年女と同じく、たんに、はた迷惑で
みっともない存在だ。これ以上、恥をかかないうちに、他人(ひと)に迷惑をかけ
ないよう、引退すべきである。
 緒方貞子(だったと記憶する)も何かの折り、低開発国では識字率向上が必要
だが、なまじ教育程度が上がると革命騒ぎの元だから、と解釈できるフレーズを
言っていた。そのときは前後の文脈が分らないので保留していた/いるのだが、
曾野綾子といい緒方貞子といい、どこか、想像力に欠陥がある体質、あるいは
生まれ育ちなのだろうか?





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by byogakudo | 2015-02-24 21:08 | 雑録 | Comments(0)


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