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猫額洞の日々

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2015年 02月 27日

(2)半藤一利「それからの海舟」半分強

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~2月26日より続く

 権力の座に着いた「西軍」(著者に倣って「官軍」ではなく「西軍」
にする)だが、
<かつての志士たちは政治的策略や喧嘩の駆け引きには長けている
 かもしれないが、きちんとした政務にはうといものばかり>(p156)
で、朝廷に伺候しても何をすればいいのか分らず、煙草を吸ってあくび
しているだけ、という体たらくを示す文書が残っている。

 ひとことで言えば、実務能力がない。新しい日本国として英・仏・
蘭のどこと、どう正式につき合うかを決めなければ新政府の動きが
とれないのに、決められない。決め方や決め手がわからない。
 函館の榎本武揚らの反乱も抑えなくてはならず、版籍奉還や金札や、
内政一般を早くなんとかするには、組織化とその整備が肝要だが、
具体的にどうすればいいのか、わからない。
 だから勝海舟たち、旧政権の有能な役人の手を借りたいと勧誘して
くる。勝海舟は勧誘されるのを利用して、徳川慶喜の赦免を願う。

 こんなありさまで、よく植民地にならなかったと驚くが、たぶん、
他の事情がからまって、日本の植民地化に手をつけなかっただけ
だろう。
 中国みたような広い国土を持つところなら、植民地経営上の利益が
見込めても、こんなに狭い島国を支配して、どんな利益を上げるか、
メリットが少ないと思われたのかもしれない。

 静岡に移住した徳川慶喜と家臣たちの苦労は、敗戦直後の日本に
置き換えればよくわかるということで、矢野目源一のパロディ百人一首
が紹介される。

< ・ わが家は八人家族三畳によく寝られると人はいうなり
  ・ 忍ぶれど色に出にけりわが暮らし銭が無いかと人の問うまで
  ・ 買い出しのいくのの道の遠ければまだ粥も見ずうちの膳立て
  ・ 敗戦の嵐のあとの花ならで散りゆくものは道義なりけり>(p146)

 これらは矢野目源一の何という本に出ているのか、他にどんな歌が
詠まれたか、全部知りたいのだが。

     (半藤一利「それからの海舟」 ちくま文庫 2008年6刷 J)

[同日・追記]
 web検索したら、同じく半藤一利の「この国のことば」にも矢野目・
百人一首が出てくるそうで、
< ・ ラクチョウのガードの下のお茶引きのパン助見れば夜ぞ更けにける
  ・ 蚤シラミ移りにけりないたずらに十円出して長湯せし間に
  ・ 配給よ絶えなば絶えねいつもいつもスケトウ鱈(だら)に弱りもぞする>
閑人亭日録 2008年1月4日より)

2月28日に続く~





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by byogakudo | 2015-02-27 15:11 | 読書ノート | Comments(0)


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