2015年 03月 17日

里見弴「初舞台|彼岸花 里見弴作品選」読了

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 昔、店を始めて間もないころだろうか、里見弴「文章の話」(岩波文庫)を
読んだ。どんな内容だったかは覚えてなくても、面白かったという記憶が
残る。だが他には小説もエッセイも読んでなくて、先だって、これを見つけた。

 巧いんだけれど、なんだか無駄に巧い。いや、興味が持てない類いの名人芸、
といえばよいのかしら。技巧だけ味わってればいい、そんな作品に、わたしには
思えた。

 収録作中の『俄あれ』というタイトルの『俄』と『あれ』の接続関係が最初、
わからない。読み出して、ようやく、にわか雨の『俄』+荒れ模様の『あれ』
だとわかった。

 まだ若い男が渋谷に住む友人宅を訪れる前後に出会う、突然の嵐と、嵐の
最中のひとの意識の交錯、みたような話。
 <練兵場の向こう側に住んでいる友達を尋ねようとして、或る市外の電車の
 なかで>(p16)と書かれているから、今の代々木公園辺りにあった練兵場と
わかる。

 夏の午後、いきなり嵐が起きるときの描写は、わたしの乏しい日本文学の
知識の範囲では、漱石を思い出した。
<劇(はげ)しい陽光(ひかり)に飽満して、熱のために震えている蒼穹(そうきゅう)
 は、見渡す限りの赤土(あかつち)の表面と直(じか)べたに顔を向き合わせている
 うちに、お互の強情に腹を立てて、不穏(ふおん)な渋面に膨(ふく)れ返って了
 (しま)った。[以下略]>(p15~16)、こんな感じ。

 市外電車を下りた男が練兵場の原っぱを抜けようとすると、いよいよ突風に
見舞われる。埃の壁ができるような大風である。
 彼の夏羽織と浴衣が
<体へピタリと貼り附けられ、有るだけの余裕(ゆとり)は彼の前の方へパッと
 吹き靡(なび)かされた。それで彼の体が、腹を中心にして弓のように上下を
 吹き曲げられたように見えたが、その実彼は風に寄り凭(かか)る心持で、
 却って逆に反(そ)るようにしたので......。(北斎の描(か)いた風に吹かれた
 男は、前跼(かが)みに弓なりになっているが、あれは「絵そらごと」だ。)>
(p17)と、モノローグも入る。

 大風の後は、雷、さらに<硝子管(がらすくだ)のような雨>が降ってくる。
やっと友人宅に着くと、友人は<そこから十四五町距(へだた)った川へ水浴に
行った>(p19)と、友人の妻が言う。何川だろう?

 足を拭って座敷に上がった頃、外は真っ暗になり、沛然たる驟雨に襲われる。
日本家屋だから、夏場はどの部屋も開けっ放しだ。主人公は奥さんを手伝って、
家中の雨戸を閉めまくる。水口の戸が動かないので、奥さんの隣に立って閉め
ようとするとき、友人の留守宅で奥さんと二人きり、というシチュエーションに
気がついてドキドキする。(本文はもっと知識人的に格調高く書いてあるが、
平俗訳すれば、こんな塩梅。)

 友人宅の別棟には書生が住んでいて、書生も母屋に駆けつけていたので、主が
留守の家には二人の男と一人の女がいるのだと、主人公(と読者)は知る。若い
書生もまた、主人公と似通った心理状態に陥ったようである。
 大正五年(1916年)発表の作品なので、登場人物(も読者)も含めて皆さん、
異性間接触や遭遇には意識過敏である。(と、作者は考えるのだろう。)

 里見弴も女の無意識の虚偽にウルサイ質のようで、夫が今いないことにようやく
思い当たる妻の描写がある。

<__彼女が濡れた衣服(きもの)を着更えて、八畳の客間へはいって行った
 時に、ふと、その事実が、妙にはっきりと心の面(おもて)に浮んで来た。
 [中略]
 彼女は決してその意識に悩まされたり脅(おびや)かされたりするようなことは
 なかった。彼女は、(そうして多くの女は)その場その場の都合で、はっきり
 意識の壇上に載(の)せて見詰めているうちに面倒の起って来そうな、そう云う
 都合の悪い事実だと感じると、すぐ巧にそれを意識の閾(しきい)の下に抑(おさ)
 えつけて了って、再び決して頭を擡(もた)げさせない敏感と狡猾と臆病と智慧
 とを備えている。それは多くの男を苦しめる、女の利口な愚かさと銘(なづ)け
 らるべき特性の一つであった。>(p26)

 甘い! この解釈では、女に"無意識"を理解する回路があるみたいでは
ないか。ないんだから、そんなもの。
 女は<都合の悪い事実だと感じる>瞬間もなく、本能的、瞬間的に<都合の
悪い事実>を封じ込め、見えなくする。見えないのだから、それは存在しない。

 時折の雷光以外は真っ暗な室内で、主人公と奥さんが対座している。歌舞伎で
いう"暗闘(だんまり)"だろうか。
 たんに、雷が怖いか怖くないかの問答の筈だが、主人公は複合解釈に走って、
<「この女は漱石の小説に悪く祟(たた)られてるな」>と思ったり、
<「復(また)俺は一人相撲をとったかな」>(p30)と、とても男性的に考え過ぎを
する。ひとりでやってらっしゃい。

 嵐が去ると、波立った心も徐々に静まる。もう隣り合って縁側に立ってても平気。
水浴に行っていた主人が帰ってくる場面で話が終わる。自然(突風と大雷雨)に
連動する人間の心理運動が、緩急をつけながらリズミカルに語られ、かっこいい
ではないか、と思ったのだけれど、どの短篇もこの調子だ。

 『鶴亀』や『彼岸花』の会話というより台詞の遣り取りの名調子など、新橋
演舞場にかけると、ぴったりだろうなあと、行ったこともない新派の舞台を想像
するのだが、名人芸を味わうには、わたしは不向きの読者であった。

     (里見弴「初舞台|彼岸花 里見弴作品選」 講談社文芸文庫 2003初 J)





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by byogakudo | 2015-03-17 19:43 | 読書ノート | Comments(0)


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