2015年 03月 24日

色川武大「なつかしい芸人たち」再読・読了

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 「なつかしい芸人たち」で取り上げられている人々のほうが割とメイジャー
なので、マイナー中のマイナー藝人を集めた「あちゃらかぱいッ」は、その後
で書かれたのかと思ったら、逆だった。前者が1989年、後者は1987年の初版
刊行である。

 「あちゃらかぱいッ」に記された鈴木桂介のことが「なつかしい芸人たち」
にも、ときどき出てきたので書き抜いておく。

 『ガマ口を惜しむ_高屋 朗(たかや ほがら)のこと_』から引用、
戦時中のエピソードだ。
< 益田喜頓(ますだキートン)と鈴木桂介(けいすけ)と高屋が三人
 連れだって、松竹座の前で車を拾おうとしたが、タクシーがなかなか
 来ない。
  高屋曰(いわ)く、
  「あ、そうだ、きょうは電休日だな」
  電力節約のために当時は週に一回、工場などが休む電休日という
 のがあったけれど、タクシーは電気で走っているわけじゃない。>(p53)

 このとき鈴木桂介は浅草・金竜館の高屋朗・一座に属していたのだろうか?

 『ロッパ・森繁・タモリ』では古川緑波について、
< 「男爵家ってえますがね、貧乏貴族で、そのせいかケチでしたね。座長
 部屋で誰も見てないと、札束を勘定してる。銀行には不安で預けられない
 んです。現金をいつも持って歩いてるんで、それでかえってだましとられ
 たりするんですが__」
  初期に座員だった鈴木桂介がいっている。
  [注:古川緑波は]不良少年だったわりに、暴力が苦手で浅草時代、喧嘩
 (けんか)好きの林葉三なんかとは絶対に一緒に稽古(けいこ)しようとしな
 かった。ロッパ一座になってからも、ときどき座員たちがスクラムを組んで、
  「座長を殴っちゃえ__」
  なんて不穏な空気になると、気配をかぎつけて楽屋入りしてこない。>
(p125)


 以下は、カテゴライズすれば、<牛込界隈>である。

 『金さまの思い出_柳家金語楼(やなぎやきんごろう)のこと_』
によれば、
色川武大の生家は牛込矢来町で、柳家金語楼・本名、山下敬太郎の本宅
<刑務所のように背の高い黒板塀(くろいたべい)で囲まれた大邸宅>
(p253~254)が町内にあり、
<たしか息子さんが一級上ぐらいに居たと思う。>(p254)

 色川武大が1929年3月28日生まれ、金語楼の息子・山下武が1926年
4月3日生まれだから、たぶん山下武のことだろう。
<彼の妾宅(しょうたく)が、附近に点在しているのを町の人々は皆知っていた。>
(P254)

 『本物の奇人_左 卜全(ひだり ぼくぜん)のこと_』より引用。

< 空襲期に入るすこし前から私は中学を無期停学になり、建前は家で
 謹慎だが、天下晴れたような格好(かっこう)で浅草に入り浸っていた。
 当時、山茶花究が牛込柳町に、左卜全が牛込北町に、私の生家と眼と
 鼻の所に仮寓しており、都電を乗りついでよく一緒に帰ってきた。山茶花究
 はあの苛烈(かれつ)な時期にパピナール中毒で注射器を手離さないという
 偉い男で、誰かついてないと電車の中で眠ってしまう。卜全は松葉杖。坊や、
 一緒に帰ってやんな、と劇場の誰かにいわれて一緒に帰るが、両人ともに
 中学生などに関心はない。無言でただ一緒に帰るだけだ。卜全の如(ごと)きは
 私など視野に入ってなかったろう。私はそういうことはたいして気にならない。>
(p272)

 『あこがれのターキー_水の江瀧子(みずのえたきこ)のこと_』より引用。

< ターキーの住居が、生家にわりと近い牛込弁天町と誰かに教わって、
 弁天公園に毎日遊びに行き、ターキーが通りかからないかと思ったり
 したのもこのころだ。もっとも後年知ったが、この時分テキは四谷
 左門町に住んでいたらしい。>(p278)

 これは色川武大が小学校に入るか入らないか、くらいだろうか?

     (色川武大「なつかしい芸人たち」 新潮文庫 1989初 J)





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by byogakudo | 2015-03-24 20:53 | 読書ノート | Comments(0)


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