2015年 03月 25日

坪内祐三「靖国」を読み始める

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 "靖国神社"については、多神教を無理やり一神教的に統一・合理化した、
日本のカミガミの歴史の中では邪道なカルトのイメージがあり、"招魂社"
としては、昔からの神社仏閣と同じように、聖俗が入り交じる"場"として、
サーカスなどの見世物小屋がかかるところ、という理解(?)なのだが。

 右や左のイデオロギーにとらわれることなく、九段坂のあの空間が人々に
どう認識されてきたかを考察するのではないかしら、と予想しつつ読み出す。
 まあ、当てごとは外れるというから、読み終わったら、違う要約を書くかも
しれない。

 わたしの頼りない理解では、日本の神社は、滅ぼした敵を祀って、彼の恨み
つらみが祟らないようにする装置で、さらには祀られることによって、かつての
敵のパワーが人々に益をもたらすものに変換するらしい、なんとも調子のよい、
画期的で便利なシステムというのだが、間違っていたらごめんなさい。

 だから、敵を慰霊せず、身内の戦死者だけを祀る"靖国"システムは、とても
日本的ではない。内と外とを峻別する、キリスト教などの一神教イデオロギー
で武装した、非日本的"ネオ神道"が靖国神社の信仰形態ではないかしら?
 藩の集合体としての徳川幕府ではない、天皇をトップにした国民国家"日本"
創世のために必要だった一神教的装置、日本の近代化(モダーナイズ)には、
とりあえず、そうするしかなかったのかもしれない。

 ん、わたしは天皇制についてはどう考えてるんだ? 
 天皇家は祈りの集団であり、生身の存在としては、政教分離意識が高く、
日本国憲法の理念を生きている、安倍晋三・独裁政権から最も遠い人々。

 独裁政権に対して、どうしてみんな無口になってるのだろう? 憲法も
法律も無視して、自分(たち)が法律であり憲法に掣肘されないと振舞う
連中を、のさばらせている。
 安倍・ピーヒャラ・晋三サイドとしては"国民"がより貧乏になり、明日どう
やって仕事を得て食べて行くかにだけ頭が占められる状況は好もしいだろう。
なまじ今の状況の酷さを考える余裕なぞ与えたくない、とでも思っていそうだ。

 ところで、AIIBはパクス・アメリカーナの終わりであり、パクス・チャイナ
(活用はこれでいいの?)の始まりであろうか。AIIBも、たんに中国嫌いの
ネタにしそうな日本の今、に思える。(最後まで日独伊三国同盟を信じて、
ソ連も参戦しないと信じていた"大日本帝国"ってのが昔あった...。)

     (坪内祐三「靖国」 新潮文庫 2004年5刷 J)

3月26日に続く~





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by byogakudo | 2015-03-25 21:20 | 読書ノート | Comments(0)


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