2015年 03月 28日

今野裕一「ペヨトル興亡史」読了

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 坪内祐三「靖国」を中断して、昨夜から今日は今野裕一「ペヨトル興亡史
ボクが出版をやめたわけ」。

 ジャケットと扉と背には「興亡」の上に小さく、「工房」とルビ(?)がつく。
大体、ペヨトル工房がいつ解散したかも知らず、ペヨトル工房・ホームページ
に綴られた第一部『ペヨトル工房解散日記』が2000/05/15から始まっている
のを見て、そうだったのかと思うくらいで、そのころというと、古本屋を始め
たい、始めようと、やや忙しくなっていた時期だった。

 どんなことでも始めるより終わらせるほうが難しい。婚姻、古本屋、出版業、
なんでもそう。終わらせるためには、それ用の資金も必要で、同時期に清算が
発表された西洋環境開発では、
< 整理にあたって堤清二さんも百億の資金を提供したと報道されている。
 経済の話なので、印象で安易な発言は避けるべきだろうが、文化が経済に
 負けたな、ととっさに思った。負けているのはだいぶ前に分かっているの
 だが、ここに来て確定したな、ということだ。>(07/19 p29)

 日本国に於いて一度でも、文化が経済に勝ったことがあるかしら? 文化的
なものやことは、よくて御大家のどら息子のもてあそびもの扱い、かつては
政府(おかみ)から勲章を受け、今なら広告代理店に商品価値を見いだされて、
やっと存在を知られ、認められるような、はかない代物だ。
 そう、一瞬、バブル経済のころ、文化がお金になると思われ、広告代理店的
価値体系のもとにあった時期があるけれど、それは歴史の中のほんの一秒。
 パンだけでは生きていられない、この窒息状況をなんとかしたいと願う、
「もの好きだね」と冷ややかな視線をいっぱいに浴びてもメゲない人々が
なぜか細々と続いて、彼らの個人的努力と奮闘が、日本の文化を支えてきた。

< セゾンの行ってきた文化事業に関してのみ、公的助成で三年間維持
 をして、その後、公共と民間とでどう成立させていくか、というような
 ことを考えられないものだろうか。
  別に理想論を言っているわけではない、欧米なら可能なことだろう。
 公的資金が望めないなら、市民が支えるという話もあるだろう。でも
 日本にはないのだ。>(07/19 p30)

 しかし2000年はインターネットが一般化、拡大化されようとする時代だ。
ペヨトル工房解散がwebで告知されると、様々な方面から何か手伝いたい
と声がかかり、その波の中で、
<ホームページ、メルマガ、ML[注:メーリングリスト]というインターネット
 三種の神器が揃った。>(第四章『解散実況生中継 オンライン営業日記』
9月8日 p217)、現場仕事を手伝う人が出現したり、断裁を避けるために
在庫を引受ける人が現れる。

< 解散後、もっとも早くペヨトル工房の本を救いだしてくれたのが、OFFSITE。
 伊東篤弘さんという美術家[中略]が作ったオルタナティブ・スペースだ。美術
 作品を展示する場所でもあり、ノイズ/オルタナティブのコンサートをする場所
 でもある。そしてペヨトル工房の今ある本をすべて手に取って見られるように
 して置いてくれている場所でもある。最大の在庫場所だ。>(08/25 p35)

 モノやコトの流通形態が替わり過ぎて、うまく流れなくなって久しい。

     (今野裕一「ペヨトル興亡史」 冬弓舎 2001初 帯 J)





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by byogakudo | 2015-03-28 23:38 | 読書ノート | Comments(0)


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