猫額洞の日々

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2015年 04月 02日

中野区 橋場町 二七番地「大和(ダイワ)荘」

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<地方人の古蹟を愛する心は、その古蹟が依然として残存している
 ところから出発し、都会の人の名所を愛する心は、それが日々に
 壊滅して行くところから発している。この意味で都会人の愛郷心は、
 感傷と一つになっているとさえ言い得る。>
(岩本素白『街の灯』より)

 街も町も、風景はつねに失われていく。中野区 橋場町 二七番地
「大和(ダイワ)荘」が取り壊されそうだと聞き、ふたりで出かけた。

 桃園川緑道に面した裏側は、たんに古い木造モルタルが残っているな、
と思うだけだ。窓枠もアルミサッシに替えられているし。
 ひとつ裏道に廻る。中野総合病院左横の駐車場を背にして、新宿方向
に進む路地に「大和(ダイワ)荘」入口がある。

 いったいいつ建てられたのだろう。戦後の木造モルタル"アパート"なら、
二階建ての場合、急角度の外階段をつけて部屋数を増やすだろうが、ここ
では小さな庭に面してアールを描き、縦長の窓から光が注ぐ周り階段が
左右対称に設けられている。左側上下階に4部屋、右側も4部屋、8部屋
しか取れない。
 いや、これは木造モルタルではなく、コンクリート造なのだろうか、
もしかして戦前に建てられた? だが空襲がしのげただろうか。

 木造モルタル"アパート"の外階段にも屋根はついている。トタンか
プラスティック波板の屋根で、"お江戸では雨はおもに斜めに降る"伝統
がある東京では、ないよりまし、あまり役に立たない。周り階段は贅沢
な設えだ。
 1・5階分の高さのガラス窓から晴れた日は光が降り注ぎ、小庭の灌木の
葉影がやさしい。雨の日も窓のおかげで静かなほの明るさに恵まれるのでは
ないか。

 どの部屋も、ほぼ無人のようだ。ドアの前に立つと、タッパの低さが、
ますます戦前の建物ではないかと思わせる。こじんまりした扉で、高さは
約180cm。Sなら背を屈めないとぶつかりそうだ。
 1、2階とも左右ふたつの扉があり、部屋はそれぞれ左右に延びる。
郵便受け用(?)の小さな横穴から少し室内が覗ける。上がり端(はな)
にも周り階段の窓に使われたような、縦に波が走るガラスの目隠しが
あるようだ。

 周り階段のガラスは、オリジナルはどれだったか分からない。縦に細い波
が走る(縦線状に刻みがある)ガラスがいちばん好きだが、曇りガラスや
ダイヤガラスも使われている。右側の階段では一カ所、ガラスがなくなった
ままだ。

 部屋に帰ってきてから、Sが言う。
 「もしかして、マネージャーの部屋は、あそこじゃなかったかしら?」

 "マネージャー"と呼ばれる女性がいた。今はたぶんドイツにいる。
 Sの記憶では、彼女が住んでいたのはベイウィンドーのある板の間
で、壁にウッドベースが立てかけてあった。ベイウィンドー側には、
フレンチウィンドーもあり、押し開けて下の中庭を見た、という。

 マネージャーの部屋は、中野・光座(映画館)の近くにあったアパート
らしい。場所的には合っている。あるいは、「大和(ダイワ)荘」の空気が
その室内を思い出させただけかもしれないが。





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by byogakudo | 2015-04-02 21:32 | 雑録 | Comments(0)


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