2015年 04月 17日

東京新聞による村上春樹インタヴュー(2015/04/17)

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 以前、賞を受けるためにエルサレムに行ったときのコメントは、ピンぼけ
だった。あれを"文学的"表現と受けとめる見方もあったようだが、二階から
目薬ならぬ、高層ビルから目薬の類いにしか思われず、あの発言が、パレス
ティナを忘れている訳ではないという意思表示と解釈するには、贔屓目を
要する。

 日本ではエルサレムに行くのかと批判されたという。それに対して天邪鬼な
気持もあってエルサレムに来たと、韜晦気味な解説をしているが、たとえばもし、
アパルトヘイト期の南アフリカ共和国から賞を授けると話が来たら、アパルトヘイト
容認に等しいから大抵は断るだろう。
 あえてエルサレムで発言することに充分な意味がある言葉でなければ、日本での
批判に答えることにならない。エルサレムとばかり言ってイスラエルと言ったのは
一度だけだったのが、結果的に彼の立ち位置を暗示しているのではないか。

 今日の東京新聞朝刊第6面のインタヴューで、イスラエルでの発言と似通った
疑問を感じた。

 1960年代に作られた「アルジェの戦い」を久しぶりに見て、
<植民地の宗主国フランスは悪で、独立のために闘うアルジェリアの人たちは
 善です。僕らはこの映画に喝采を送りました。でも今、これを見ると、行われて
 いること事体は、現在起きているテロとほとんど同じなんですよね。それに気づく
 と、ずいぶん複雑な気持ちになります。
  六〇年代は反植民地闘争は善でした。その価値観で映画を見ているから、
 その行為に納得できるのです。でも今、善と悪が瞬時にして動いてしまう善悪
 不分明の時代に、この映画を見るととても混乱してしまう。>

 この発言は、
< 今いちばん問題になっているのは、国境線が無くなってきているということです。
 テロリズムという、国境を越えた総合生命体みたいなものが出来てしまっている。
 これは西欧的なロジックと戦略では解決のつかない問題です。「テロリスト国家」
 をつぶすんだと言って、それを力でつぶしたところで、テロリストが拡散するだけ
 です。僕はイラク戦争のときにアメリカに住んでいたのですが、とくにメディアの
 論調の浅さに愕然(がくぜん)としました。「アメリカの正義」の危うさというか。
  長い目で見て、欧米に今起きているのは、そのロジックの消滅、拡散、メルト
 ダウンです。それはベルリンの壁が壊れたころから始まっている。>

__へと続くが、この分析というより"なぞり"だが、ここから歴史修正主義への道は
あと何歩だろう?

 1960年代に"コミットした"(!)__ずいぶん久しぶりに使った言葉だ__映画
作品は、その時代の文脈に沿って解釈されるべきだ。現在の感想は別にして。
 村上春樹は、この発言に即して、それでは帝国主義的国境線の確定は善なのか、
と聞かれたら、どう答えるのだろう?

 言い切ることは、微細で、それ故に大切な何かを捨てる行為だ。ためらい、
戸惑い、悩む身ぶりを捨て去る行為である。それを百も承知の上で、断定的に
言わざるを得ない状況もある。そうしなければ敵に加担するに等しい場合だ。
 湾岸戦争、そして9・11時のマスヒステリアは愚かしく堪えがたい反応だけれど、
村上春樹のなぞり的分析で、どこに行こうとするのか。

<善悪を簡単に規定できない世界を乗り越えていくことが大切なのです。
 でもそれには自分の無意識の中にある羅針盤を信じるしかないんです。>
__個人が個人的に行為することでしか政治変革もあり得ないが、同時にまた、
すべての発言は政治性から逃れられないことも、あきらめながら受け入れるしか
ないだろう。
 村上春樹の発する言葉は、揺らぎを誠実に(?!)見つめる態度かもしれないが、
なにか、どこか、スキップしているように、わたしには感じられる。





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by byogakudo | 2015-04-17 21:45 | 読書ノート | Comments(0)


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