猫額洞の日々

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2015年 06月 11日

町山智浩「トラウマ映画館」読了

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 TVで劇映画を盛んに流していた時期があった。筆者・町山智浩(1962年
生まれ)に寄れば、彼が10歳から15歳(1972年から77年)辺りだという。
東京でも地上波が7チャンネルあるだけだが、
<一日に多い時で四、五本も映画を放送していた。>(p290)

 そう言われればそんな気もするが、ちょうどTVを持っていない時期だ。
この本に記される映画群は、見ていないものばかり。TVで放映されたきり
(ということは日本語吹き替え?)の劇場未公開、あるいは80年代以降の、
町に貸しヴィデオ屋が林立していた頃にもヴィデオ化されず、(残っていた)
名画座にかけるにも時期外れみたような。__それでも映画のタイトルや
役者の名前を知っているのは、映画雑誌ファンだった賜物であるが。

<名画座は"観たい映画"を観に行くので、有名な映画や評判のいい映画が
 多くなるし、自分の好きなジャンル(アクションやSF映画)に偏って
 しまう。
  でも、テレビは違う。『愛すれど心さびしく』なんてタイトルの映画を
 中学生男子がわざわざ小遣いはたいて観に行くはずがない。テレビだから
 こそ出会えたのだ。
 [中略]
 いちばん楽しいのは、題名も出演者も監督もあまり有名じゃない映画だ。
 当時はネットがなかったから、事前の情報は新聞や映画雑誌のテレビ欄
 に載る、わずか数行のあらすじのみ。いったい何が始まるのか、ドキドキ
 しながら観た。>(p290~291)

 インターネット批判にも通じてしまいそうな状況だが、映画のごった観の
中で、思春期の心に突き刺さった刺のような映画が紹介され、徐々に何が
筆者の記憶に深く関与したのか分かってくる。

 『マドモアゼル』の項では、
< ジュネは孤児で同性愛者である疎外感を外国人[注:舞台である小村のよそ者]
 の少年に託した。父親が韓国人だった筆者は『マドモアゼル』を観ると今でも
 傷をえぐられるような痛みに身悶えする。母は浮気な夫への憎しみを幼い筆者に
 ぶつけ、折檻しながら「朝鮮人の子め」と詰(なじ)った。その記憶が蘇るからだ。>
(p251)

 町山智浩がアメリカ文明批評に至る過程がわかる一冊。

 話が逸れるが、渋谷区がLGBTの権利を保護しようとするのは結構なことだ。
差別は減らすべきだ。しかしながらそれでは渋谷区は、一見しては違いが見え
ない在日の人々と、どう向かい合っているのか、目に見えて違いのわかるホーム
レスを公園から追い出したことは、もう昔の話で、当事者なのに忘れてしまった
のか?
 LGBTの権利を保護するのは、なんだか知性的で(?)おしゃれに見えるし、
区のイメージを上げるのに役立ちそうだから実行し、在日やホームレスの問題は
絵にするには地味すぎて、実行はしんどいだけだから、ないことにするっていうの?

     (町山智浩「トラウマ映画館」 集英社文庫 2013初 J)





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by byogakudo | 2015-06-11 21:06 | 読書ノート | Comments(0)


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