2015年 06月 12日

エンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一 訳「バートルビーと仲間たち」読了

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~6月10日より続く

 後半、まだ続けるの?と、著者あるいは、バートルビー症候群の作家たち
について記述する主人公(?)=休職中の事務員に問いたくなる気は起きる。
書かない/書けない症候群の作家と作品、書くことの可能性/不可能性について
書こうとすれば、実例を上げつつ(フィクションも挿入できるが)いくらでも
考察を続け、書き続けることができる、というのはよく分かった。しかし、
地上に永遠は存在しない。どこかで終わらないわけには行かないから終わる
のである。

 文学空間について小説を書こうとすると、大抵は干涸びる。禁欲的で骨格性
を帯びた記述になりやすい。ところが、ラテン系作家であるエンリーケ・ビラ=
マタス(広くラテンアメリカ文学者のひとりと捉えたい!)は、むしろ水の作家、
連想が波のように次の連想に続き、あふれそうな水(手を伸ばせば触れること
もできそうだ)をかろうじて言葉という堤で抑えているような感触を与える。
 ラテンアメリカ文学の不思議さは、抽象的な事柄を述べながら実感性が失われ
ないことだが、「バートルビーと仲間たち」も同じ印象だ。

 日本語しか読めないので翻訳者にはいくら感謝してもしたりないのだが、木村
榮一の翻訳は、もう少しおしゃれを意識してもいいのじゃないかと...ここらは小声
で申上げるが、第17章の始まり、
< 今は七月十七日、午後二時。わたしの好きな演奏家チェット・ベイカーの曲を
 聴いている。>(p56)__"演奏家”?

 たぶん篤実な翻訳であり、篤実な翻訳者であろう。ちょっとおしゃれ、ちょっと
きどって、なんてことをお願いしたとしても、
 "I would prefer not to"(酒本雅之 訳「せずにすめばありがたいのですが」/
柴田元幸 訳「そうしない方が好ましいのですが」/高桑和巳 訳「しないほうが
いいのですが」、以上wikiより)と、バートルビーの決め台詞(ないし通奏低音)
で答えられそうだが。
 
     (エンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一 訳「バートルビーと仲間たち」
     新潮社 2008初 帯 J)





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by byogakudo | 2015-06-12 14:37 | 読書ノート | Comments(0)


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