2015年 06月 14日

フェリスベルト・エルナンデス/平田渡 訳「水に浮かんだ家」再読

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 エンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一 訳「ポータブル文学小史」にかかる前に、
同じく木村榮一が監修したであろう「美しい水死人」(福武文庫 1995初 J)から
フェリスベルト・エルナンデス/平田渡 訳「水に浮かんだ家」を再読した。
(2008年12月8日)

 レメディオス・バロが描きそうな風景、いや、水景になるだろうか。
 主人公(話者)は売れない作家らしい。友人から勧められて、裕福な未亡人の
邸宅に住込みの勤めをする。彼女は噴水からインスパイアされた、車寄せに相当
する部分から水路であり、邸内一面に循環する水を張り巡らせた家を建て、雇い人
たちと暮らしている。雇われた主人公の仕事といえば、夜、未亡人をボートに乗せ、
元中庭であった小島の周囲を漕いでまわるだけだ。
 
 夢幻的な状況設定だが、主人公はすんなりと馴染んでいく。日常の感覚や思考
を保ち続けながら、まるで水に溶け込むように。
 水を主神とする宗教めいた儀式を行う、巨大な白象のように肥満した未亡人に
惹かれ、結婚したいとさえ願う。安逸な生活になじんでしまったせいもあるが。
 こんな世話物みたような記述が、水のファンタシーの中で、なんの違和感もなく
溶け込んで存在する。

 奇妙でありながら(妙に)実感的なのがラテンアメリカ文学の特徴で、フェリス
ベルト・エルナンデス「水に浮かんだ家」も、その一例だろう。

 ピアニストであり作曲家でもあったフェリスベルト・エルナンデスだが、
Primavera (Felisberto Hernández, 1922) (por Leo Maslíah).avi にしても、
彼の短篇と同じようにマイナーな魅力にあふれる。

 水声社の『フィクションのエル・ドラード』に入る筈だったフェリスベルト・
エルナンデス/浜田和範 訳「案内係 ほか傑作短篇集」は、どうなったのだろう? 
叶うことならば、読んでから死にたい。
 わたし(たち)が、まずカルロス・フエンテス/寺尾隆吉 訳「ガラスの国境」を
買うことから始めないと、フェリスベルト・エルナンデスにたどり着かない、のか
なあ。

     (フェリスベルト・エルナンデス/平田渡 訳「水に浮かんだ家」/ガルシア=
     マルケス ほか/木村榮一ほか 訳「美しい水死人」 福武文庫 1995初 J)  





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by byogakudo | 2015-06-14 20:23 | 読書ノート | Comments(4)
Commented at 2015-06-14 22:31 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by byogakudo at 2015-06-15 15:26
こんにちは。
「ラテンアメリカ文学はミステリやSFと同じように
楽しいよ、面白いよ」という角度で、もう一度、
流行らせられないものかと夢想しますが、無理
でしょうか。
Commented at 2015-06-16 20:21 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by byogakudo at 2015-06-17 12:51
通りすがり さま
三島ほど翻訳小説に反応した作家はなかったと、読んだ
記憶がありますが、もしそうであれば、1970年以降、
海外文学が日本の作家に影響する割合が低下し、海外文学
を読む読者層も減っていった、ということでしょうか。


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