猫額洞の日々

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2015年 06月 23日

tv eyes,tv ears

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 TVはもう終わってしまったメディアかもしれないが、少し角度を変えて
試みてみれば、まだ新しい語り口がなくもないだろう。

 今日は沖縄の「慰霊の日」である。会期を延長して戦争法案を見た目上、
体裁を整えて、強引に成立させようとする独裁者・安倍晋三が、糸満市での
沖縄全戦没者追悼式に参加した。どの面下げてか、見てみたいじゃない?

 それなのに、TVカメラマンとニュース編集者は何をしているのだろう。
 カメラ一台は必ず、安倍晋三をしつこく追い続けなければ。独裁者が
会場でどうふるまうか、反応するかを記録し続けなければ。

 特に、翁長雄志・沖縄県知事が平和宣言を述べた、そのときの安倍晋三の
表情こそ、翁長氏のショットの直後にカメラを切り替え、沖縄県知事による
平和宣言の音声に被せて、放送すべき被写体ではないか。
 安倍晋三が神妙な顔を取り繕おうとしているか、鉄面皮な無表情を見せるか、
あるいは...それらの情報をTV受像機の前にいる視聴者に伝えるために、クロース
アップで撮らなければならない。

 それなのに、ニュースの映像も音声も、できごとの"なぞり"で事足りる、と
言わんばかりの編集・放映だ。全部のTV局の画面を見たのでなく、たまたま
合っていた局のニュースを見ただけだが、翁長知事のミドルショットと平和宣言
の一部の音声を聴かせ、すぐに「平和の礎(いしじ)」に家族の名前を見つけて
祈る遺族のミドルショットである。
 沖縄の痛みに同調してるフリを見せる、これこそ権力に寄り添った、微温的、
偽善的、犯罪的な編集態度ではないか。
 まさか、この情緒的で怠惰な編集態度はじつは、沖縄に米軍基地を押しつけ、
地方都市の原発からの電力で生きてきた東京都民の怠惰さ、鈍感さの写し鏡の
つもりだ、なんて言い訳をする気はないでしょうね。

 戦争法案についての"市民"も参加した公聴会のニュースで、まず法案賛成の
高年女性(ほんとに一般市民なのか、疑問を抱かせるルックスと口跡だったが)、
次に法案に疑問を持つ中年女性と、建前公平主義を押し通すニュースの編集放送
姿勢を、一度考え直してみるべきではないか。

 できごとは存在する。それを見るのはひとだ。見る角度が存在するのだから、
客観的報道など存在しないけれども、その限界をわきまえながら、できるだけの
知見を提供しよう、というのがメディアの立ち位置ではないか。





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by byogakudo | 2015-06-23 20:31 | 雑録 | Comments(0)


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