2015年 07月 02日

広津和郎「年月のあしおと」読了

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~6月28日より続く

 広津和郎は昔の日本の文学者の中では、図抜けてバランスのとれた
作家・批評家なのかしら。日本文学にも疎いが、彼の伝える文学仲間
たちの行状は、やたらエキセントリックな話が多い。クセの強い人たち
ばかりに思える。

 広津和郎や芥川龍之介は、街育ちらしい気の遣い方や振舞い方だが、
出てくる他の作家たちは、地方出身者の逆上もあると思われるが、概ね
コンプレックスの処理が下手で、屈折した挙句、居直って甘えている、
ように後代の女には読める。そこまで屈折して甘えきらないと書けない
のなら、書かなくていいのに、と思うが、甘えの構造だかDVの構造だか
知らないけれど、周囲の人々は奥さんや愛人のみならず、ツケを溜めら
れて困っている商人までもが、甘えてる彼らを生き延びさせる。

 資本主義の規模の問題なのだろうか、よく理解できないのだが、広津
柳浪が霞町の借家の店賃を溜めて引っ越すことになる。家賃収入で生きて
いる家主は武士の家系、柳浪も同じく。
 家主夫人は、今まで溜まった分を半分にお負けしますから、申訳ないが
出ていただけないでしょうかと、口ごもりながら頼んでくる。時流に会わない
作家と自認して何年も書かなかった柳浪は、久しぶりに書き、溜まった家賃
全額を支払って立ち退く。
 立ち退きの日、病気で臥せっている家主は夫人に支えられながら門外に
立ち、柳浪一家の荷車が出て行くのを見送り、その翌日、家主夫人が広津
一家の引越先・本村町の借家に
<近所の酒屋の三円の切手を持って詫びに来た。>(p145下段)
 老家主は、
<「半分負けるなどと無礼なことを云ったのが恥かしい」と云っていたそう
 である>(P145上段)

 2軒の貸家の家賃だけで生きる病身の老夫婦にとって、家賃の高い方が数ヶ月
溜められると家計に狂いが出るが、数ヶ月待てたということは、逆に見れば、
それだけのストックがあったことを示すのではないか、ぎりぎりかもしれないが。
 この遣り取りは武士の相身互い、と理解することもできるが...。

 学校を出たら自分が一家の稼ぎ手になろうと決めていた広津和郎は、当時
エロ本扱いであった<モーパスサン>の「女の一生」の翻訳(英語訳からの
重訳)で得た印税で、霞町で溜めた支払いをして歩く。溜めたのは家賃だけ
ではない。
 どの商人も本村町への引越し時に借金返済を言いに来なかったが、魚屋に
まず5円を払うと、
< 「へえ、お坊っちゃんがお金をお取りになった。[以下略]」
 と私の顔を見つめながらにこにこして云った。__霞町に越して来た頃、
 私は中学の初年級であったから、その頃の「お坊っちゃん」が魚屋の頭に
 浮んでいるのであろう。>(p147下段)
 
<私が出した帳面に、「五円入金」と記し、その後の借金がいくらあったか、
 三、四十円もあったか、その上に棒を一本さっと引っぱって、
  「もうこれで結構でございます。よくお忘れなくおとどけ下さいました。
 後はお坊っちゃんがお金をお取りになられたお祝いとして棒引きにいたし
 ます。よくおとどけ下さいました。ありがとうございました」>(p147~148)
 魚屋だけではない、酒屋、八百屋、三軒の米屋、どこでも5円だけ受け取って
後は棒引きしてくれたという。

 ツケの存在しない時代に生まれて育つと、ここらの呼吸と仕組みが分からない。
帝大出の初任給が30円、早稲田・25円が相場の時代の<三、四十円>を受け取ら
なくても店が立ちいくストックがあったという話に、わたしの頭の中で読み替え
られる。
 まあ、あまりに微小な規模の古本屋だったので、初任給ひと月分!と読んで
しまうのだが。

 近頃の貧富の差の拡大をいうと、戦前の貧乏ったら、ほんとにひどかったんだから
と年長者から返ってくる。だが昔の話を小説や随筆で読むと、大富豪でなくとも借金
返済が待てる、あるいは棒引きできるミドルクラス(かそれ以下)が普通に存在して
いたように思われる。同じ資本主義なのに、経済に質的変化があったのか?

 広津和郎は大体いつも冷静で、何事もひとごとのように見てしまう都会派体質だ。
見送ってくれる霞町の家主の様子を、
<杖をつきながら、私たちの後を見送って頭を下げている格好が、何か文楽の
 人形見たいで、甚だしく時代めいていた。>(P145下段)と感じるように。

 機敏でとっさの判断力もあり、冷静な人が今でいう「できちゃった婚」をする
のは、それこそ"性の悶え"として自然主義小説的だが、もしかして妊娠させた
のでは、とひとりで悩んでいた時、友人が彼女の様子を伝えに来る。
< 私達は一高と帝大との間の横町を入り、少し行って右へ、不忍池の方へ
 下りて行った。(これは鷗外の「雁」に出て来る道である)
  「君は知らなかったの?」>(p191下段)

 <(これは鷗外の「雁」に出て来る道である)>と書くのは1963年頃、70歳を
過ぎた広津和郎だが、客観視とそれ故のヒューマーが基本の人のようだ。
 父・柳浪の死でこの巻が終わる。続編を探さなきゃ。

     (広津和郎「年月のあしおと」 講談社 1971年3刷 帯付き/たぶんVJ欠)

7月3日に続く~
 





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by byogakudo | 2015-07-02 21:39 | 読書ノート | Comments(0)


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