猫額洞の日々

byogakudo.exblog.jp
ブログトップ
2015年 07月 03日

正宗白鳥「今年の秋」を読み始める/広津和郎「年月のあしおと」追加

e0030187_19474185.jpg












~7月2日より続く

 広津和郎「年月のあしおと」には他にも書き抜いておきたいことが
ある。借家から借家へ移り住むのは、昔の東京では当然と思われる
暮らし方だが__持ち家制度が振起されたのは戦後の住宅不足を
解消するために政府が打ち出した、自助努力補助制度、の側面が
強いのではないか?__9歳くらいまで矢来町、次いで弁天町(3、4
ヶ月)、もう一軒・弁天町、弦巻町、市ヶ谷甲良町(ここまで牛込区内)、
そして麻布の桜田町、霞町、笄町、また霞町、ここで麻布中学から早稲田
卒業まで過ごす。
 早稲田は田圃だし、蝶の採集には麻布桜田町から二子玉川まで
歩いてオオムラサキを採りに行く。ちっとも文学少年ではなかった。

 『十九 独歩、白鳥、岩本素白』によれば、中学四年か五年(15、6歳)
頃に友人から勧められて国木田独歩を読むが、まだピンと来ない。
 「趣味」という雑誌の「早稲田号」特集で正宗白鳥「妖怪画」を読み、
初めて
<小説を身近なものに感じたのである。>
 生まれて初めて自分で買った雑誌「趣味」の「早稲田号」は、じつは
麻布中学の作文の先生だった岩本素白の「老船長」という小説を読む
ためであった。(p74上段)

     (広津和郎「年月のあしおと」 講談社 1971年3刷 帯付き/たぶんVJ欠)

 というところで正宗白鳥へ。
 お葬式三部作みたように、『今年の春』『今年の初夏』『今年の秋』と
続く。最後の『秋』は、2歳下の次男A(白鳥は十人兄弟の長男)が重体
なので見舞いに行く話。

 Aは国学者で<神道に心を寄せていた筈>(p43)だが、教えていた
岡山の女学校はカトリックである。学校から洗礼を授けに来てくれた。
洗礼名はヨゼフ。

 お葬式は<先祖伝来の仏式>、その翌日、女学校講堂で<正式に
追悼ミサ葬儀ミサ>が行われたが、
<それよりも私が心を惹かれたのは、Aがあの病苦のうちに、洗礼の
 和歌をつくっている事である。
      洗礼の水まろらかにかほにおつ
          かしらにそゝぐたふときろかも     >(p47)

 第四作『私の顔』はカミュ「異邦人」を読んだ話から始まる。
<世に対し人に対して、自分は異邦人であるという意味を、
 私は勝手に空想して、その意味を尖(とが)った錐(きり)か
 鑿(のみ)かで抉(えぐ)っているように描かれているので
 あろうと思っていたのであったが、今度読んで見ると、
 すっかり期待外れをした。
 [中略]
 私は訳者の解説に教えられて、異邦人そのものの作意を
 考えて見たが、自分の読後感は、その解説に追随して行け
 なかった。>(p48)

< ふと、漠然ながら思出されたのは、広津和郎、中村光夫
 両氏の「異邦人」論争である。論争の趣旨は殆ど忘れているが、
 そのなかに、中村光夫が広津和郎に対して「歳は取りたくない
 ものだ」と云った含蓄のある評語である。
 [中略]
 わたしは、広津氏以上に歳は取っていても、未読の「異邦人」に
 共鳴するぐらいの心の若さは持っているつもりであると、うぬ惚れて
 いたのであったが、今度、空想裡の「異邦人」ならぬ、正本の「異邦人」
 を読んだために、「おれも、歳を取ったのかなあ」と、独りセリフを呟く
 ようになった。取りたくもない歳をいつの間にも取ったのかと、我と我身を
 顧みる気持を起した。>(p49)

 <「異邦人」論争>の箇所を引用すること自体、<歳をいつの間にも取った
のかと、我と我身を顧みる>ものだ。

     (正宗白鳥「今年の秋」 中公文庫 1980初 J)

7月4日に続く~





..... Ads by Excite ........
[PR]

by byogakudo | 2015-07-03 19:10 | 読書ノート | Comments(0)


<< 正宗白鳥「今年の秋」半分弱/求...      広津和郎「年月のあしおと」読了 >>