2015年 07月 09日

廣津和郎「續年月のあしおと」を読み始める

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 「年月のあしおと」が面白かったので続編を手に入れたら、こちらは
堅牢な函に入った、型押しの模様もある布張り・丸背・ハードカヴァで、
正漢字・正仮名遣いだ。
 「年月のあしおと」の方は軽装版だった。「函欠」と書いていたが、
「たぶんVJ欠」と書き直し、自己満足する。

 以下、正漢字・正仮名遣いのまま引用すればいいのだが、手間がかかる。
新漢字・新仮名遣いで書き抜いていこう。

 日記やメモの類いを取らないと、広津和郎は再々述べるが、ほんとに
よく覚えている。記録的な記憶ではなく、できごとが起きた際に自分が
感じたこと、相手が言ったことに対する印象、という面での記憶のよさ
なので、文章にするときにはできごとの日時を確定させる必要がある。
 『十四 文芸懇話会』を書くときも、朝日新聞の縮刷版で調べると、
昭和9(1934)年3月29日の夜、初めての会合があったと、ある。

 "文芸懇話会"は、直木三十五が役人たちと会うことから始まった文学者
と役人の集まりの話だ。先日の"文化芸術懇話会"に直結する、日本の役所
文化の歴史を窺わせるネーミングだが、まさにその通り。内務省警保局長・
松本学が作家たちを日本橋偕楽園に招いた。直木三十五は既に急死して、
その場にいない。

 "文芸懇話会"初会の話の前に時代状況の説明があり、昭和7(1932)年
の犬養毅の殺害に関して、
<犬養は「話せば解る」といって、先に立って応接間に将校らを導いた
 そうであるが、話を聞いたら撃てなくなるかもしれないと思って、
 誰かが「撃て!」と叫んだので、将校らは引金を引いたそうである。
 そしてその将校の一人は「首相の態度は実に立派でした」と後で感心
 したようなことをいっていたと新聞に出ていた。感心しながら何故殺す
 のか、われわれには解らないが、日本人の悲愴趣味はこんなことばの
 矛盾を昔から許容する癖がついているらしい。>(p55下段)

 昭和9(1934)年は、天皇機関説が攻撃された年だ。
<この頃軍の青年将校と共に、最も鼻息の荒かったのは、新官僚乃至
 新々官僚といわれる内務省の役人達であった。
 [中略]
 この新々官僚といわれる人達の或綜合雑誌に出た座談会記事を読んだ
 ことがあるが、その中で、「青年時代にマルクスの影響を受けない
 ような奴は、頭の悪い奴だが、長じて尚マルクスを卒業できない
 ような奴は、知恵の止った奴だ」というような意味のことを(言葉は
 その通りではないが)いって気炎を挙げていたのを覚えている。そして
 この人達はヒットラーを肯定し、ファッショを肯定し、「日本のファッ
 ショはわれわれの手で」などということを公言していた。
  松本警保局長から、われわれに招待状が来たのは、ちょうどそんな
 ような時代だったわけである>(p56上段)

 マルクス云々は読んだことがあるけれど、肝心の「日本のファッショ
はわれわれの手で」というのは、初めて知った。何という綜合雑誌の何年
何月号だったか分かれば、これら"新々官僚"の名前も分かる。

 モダーニズムとファシズムは、互いに相手の影であるような、クローネン
バーグ「戦慄の絆(Dead Ringers)」みたような、メビウスの輪のような、
ひとと言葉の関係のような、どうしようもない相互包含性をもつ。

 "新々官僚"たちは新しさに於いてファシズムを肯定し、モダーンガール
たちも、同じ理由でファシズムに共感・協力し、新自由主義者どもは、
久しぶりの目新しさ故に新自由主義経済(laissez-faire)を唱導し__
歴史は何度でも馬鹿馬鹿しく繰り返される。__、安倍晋三以下のbla
bla bla どもは歴史を修正しなければ、自己の存立が侵されるとでも
思いこんでるのか、やられる前にやっちまえと、戦争に突き進む。
 彼らの身体はけして戦場に置かれないから、安心して頭を病んだまま、
勝手なことを言い放っているのだろう。

 『十五 間髪を入れない徳田秋声の一言』によれば、内務省警保局長・
松本学が挨拶した途端、徳田秋声の一言で釘を刺された。

 松本学が、日本の政府は文学に対して冷淡に過ぎた、美術院があり、
文部省が展覧会を開いているように、文学も文芸院を作って、日本の
文学をもっと大事にしなければ。政府が文芸院を作るまでの準備として、
この会合を私設文芸院と名づけたい...と述べた途端に徳田秋声が、

< 「日本の文学は庶民の間から生れ、今まで政府の保護など受けずに
 育って来ましたので、今更政府から保護されるなんていわれても、
 われわれには一寸信用できませんね。それに今の多事多端で忙しい
 政府として、文学などを保護する暇があるとは思われませんよ。
 われわれとしては、このままほって置いて貰いたいと思いますね」>
(p57下段)

 それでも内務省警保局長・松本学は未練たらしく、月に一度の
"文芸懇話会"をあちこちの料理屋で催し、作家たちに馳走した。
 文部省の関谷局長が来賓として出席していたとき、文学賞も出す
と聞いた関谷局長が、どこから予算を出すのかと、松本学に尋ねた。
 立場の等しい役人からも突っ込まれて、
< 「それならいおう」と真顔になって関谷局長の方へ向き直った。
  「実はね、前に教育統制、宗教統制をやった。そこで次ぎに文芸
 統制をしようというので、斎藤総理に話すと、総理も賛成されたので、
 それで乗出したわけだ......」
 [中略]
  「どうもそんなことではないかと、われわれも最初から思っていましたよ。
 どうです、文学の統制は、無理でしたろう」と私が笑いながらいうと、
  「ええ、今はよく解りました。もう文学の統制はしようとは思いません」
 と松本局長は苦笑しながら答えた。>(p58下段~p59上段)

 でも作家たちの抵抗もここまで。全面的なファシスト国家・日本になり、
すべては大政翼賛会に属し、何も反抗できなくなった。この愚劣な歴史を
性懲りもなく繰り返すなぞという、愚劣を通り越した気狂いどもが、今の
日本を支配している。

     (廣津和郎「續年月のあしおと」 講談社 1967初 函 帯)

7月10日に続く~





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by byogakudo | 2015-07-09 17:30 | 読書ノート | Comments(0)


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