2015年 07月 10日

廣津和郎「續年月のあしおと」半分弱

e0030187_18281445.jpg












~7月9日より続く

 『二十二 人権はチリアクタの如し』は、二・二六(昭和11=1936年)から
1、2ヶ月経った春の晩のできごとを記す。

 広津和郎が大学生の息子と新宿を散歩して、伊勢丹側から四谷へ横切ったとき、
角の派出所から巡査が、「おいこら」と声を上げて飛び出してくる。青信号で
横切ってるし、まさか自分たちが呼び止められたとは思わないで歩き進んでいたら、
巡査は走ってきて息子の前に廻り込み、彼を派出所に引っぱっていく。

<何かの間違いに違いないが、それにしても「おいこら」とまるで犯罪者に
 対するようなあの呼び方は何事だ。
 [中略]
  「何の用なのです? 僕はこれの父親なのだが......」
  「父親? ふん、父親か。父親でも構わん。この男を調べることがあるんだ。
 向うに行っていろ」
  私が父親であることを名乗っても、巡査の言葉は少しも改まらない乱暴さ
 である。
 [中略]
  「何かの間違いで調べるにしても、浮浪人ではないのだから、もう少し
 丁寧にしたらどうだ」
  「なに、浮浪人ではない。ふん、地位や名誉があれば尚面白い。__君は
 警察というものを知るまい。訊問、検束、みな自由なのだぞ。いいか。この
 帳面を見せるわけに行かないが、署から達しが来ているんだ。いいか。この
 オーバーの色と年齢と背格好が符合するんだ。君は何ものだか知らんが、
 警察というものを知るまい」
 [中略]
 誰がこんなことを国民に向って警察官にいわせて置くのだ?
 [中略]
 帝国憲法が作られる時、国内の安定をはかるために、当時の自由民権
 思想を取り入れ、帝国臣民は自由であると、先ずそれを持って来て人々を
 喜ばせて置きながら、いつ警察に引っぱられても、誰も文句のいいようの
 ないようにするために、伊藤博文等がどんなに苦心したか。......そんなこと
 が頭に浮んで来たものである。
  「訊問、検束が警察の自由だなどと、無法なことをいうな。そんな自由
 なんか警察にはないんだぞ[中略]もっとも、君にいったって、そんな理屈
 は解るまいが」>(p87~88)

<警察官の国民に対する横暴は、益々ひどくなって行った。一寸した違反
 をおかしたタクシーの運転手は、巡査の手帳につけられる前に、先ず巡査
 から撲られるのが一般であった。私は往来でよくそういう光景を見た。
  警察官の手によって、新宿の映画館で、学制狩りがおこなわれ始めたのも、
 それから間もない頃であった。
  映画を見ていたというだけで、映画館から呼び出された学生たちは、映画館
 の前に整列させられ、やがて前と後とに警固の警官がついて、四谷署まで、
 街中を引っぱって行かれるのである。四列縦隊の形で、学生たちは憂鬱な顔
 をして、黙々と引かれて行った。私はその光景を度々見たが、その行列は二十
 人、三十人、時によると五、六十人の集団であることもあった。 
  こうして若い青年達の気力を骨抜きにして行くのか、と私は歯噛みする思いで
 見送ったものであった。
  大阪府知事が、管下の中等学校の入学試験を日本歴史一科目にするように
 命令を出したのもその頃であった。日本歴史__それも都合よくウソで固め
 られた日本歴史一科目、その外に日本の少年は何も知識を持つ必要がないと
 いうのであろうか。これは気力を骨抜きにするばかりでなく、知識も骨抜きにし、
 将来の国民を総白痴に仕立て上げようということではないか。>(p89~90)

 その大阪府知事は間もなく文部大臣になった。
< もっとも、その頃は文部省なんかあるのかないのか解らなくなり、内務省が
 教育の方向にまで幅を利かせていたものであった。>

 広津和郎は新宿ホテルを仕事場にしていたが、夜番のボーイから巡査の陰険
悪辣なやり口を聞く。

 二、三度来たことのあるカップルが泊まりにきたが、そのちょっと前に
ホテルを訪れ、ふたり連れを認めるやドアの陰に隠れて待ち構えていた
巡査が現れ、
<『何も君たち高いホテル代なんか払う必要はない。わしがただで泊れる
 ところにつれて行ってやるから、ついて来い』>(p91下段)
と、ふたりを連行して行ったという。

 ボーイはふたりが恋人同士であり、売買春ではないと分かっているから
(それが判断できないようではホテルになぞ勤められない)、憤慨する。

< 「[略]今の女はすれたところが余りないんですよ。可哀想ですよ、
 あんなのを留置場にほうり込むなんて......」
  「やっぱり留置場にほうり込むのか」
  「ええ、そうですとも。奴等は何かというと人を留置場にほうり込むん
 ですよ。そんなこと何とも思っていないんですよ」
  [中略]
  女と見たら、売笑婦と思え、というわけで、訊問も抑留も自由自在。__
 私はボーイからそういう警察のやり方の例をいくつか聞いた。人権無視とも、
 野蛮とも、今の人には一寸考えられないほど、国民に対する警察官は当時
 横暴だったのである。
  軍部の圧迫、内務官僚のわが物顔ののさばり、警察官の人権無視、それらの
 ものが協力して、国民を無抵抗に骨抜きにし、無理に、強圧的に、戦争の方へ
 引っぱって行きつつあった。>(p91~92)

 書かれているできごとは1936年頃のこと、広津和郎がこれを書いたのが、
昭和39~42(1964~1967)年頃である。
 2015年7月10日、これらを書き抜き、引用した。

 権力構造の絡み合い・重なり合い、持てる権力の質量的違い__小さな権力
ほど大量に行使される。自分の置かれている地位が低いと分かっているから、
数で稼いで満足したいと思うのだろう。
 九条の俳句の公民館報への掲載を断る三橋(みはし)公民館の小役人は、
今はまだ低姿勢かもしれないが、じき、何が悪いと、居丈高になる筈だ。

     (廣津和郎「續年月のあしおと」 講談社 1967初 函 帯)

7月12日に続く~





..... Ads by Excite ........
[PR]

by byogakudo | 2015-07-10 12:07 | 読書ノート | Comments(0)


<< 鈴木創士氏の翻訳考      廣津和郎「續年月のあしおと」を... >>