猫額洞の日々

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2015年 07月 11日

鈴木創士氏の翻訳考

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 鈴木創士氏が彼のtwitterで、翻訳行為について述べられて
いる文章がとてもいいので引用する。

<光文社文庫の方針は分かり易い翻訳のようだし中条省平氏には
 何の恨みもないので心苦しいが、あのジュネの翻訳はジュネの
 原文からほど遠く全くジュネではない。私の翻訳観はほぼベンヤミン
 のそれを金科玉条にしているのでせめて原文の文体の雰囲気を出さ
 ないと翻訳をやる意味がないと思っています。以上>
(https://twitter.com/sosodesumus/status/619142076266094592)

<百人翻訳家がいれば百通りの訳文があるってことです。だけどその
 作家が何を言っているのか、なぜあれではなくこの文体でそれを書いた
 のかという最低限の「読解」のレベルに達していない翻訳が多すぎる。
 こちらは心血注いでやっているのだから、ケチをつけられれば反論する
 権利くらいはあるでしょう。>
(https://twitter.com/sosodesumus/status/619329486396506112)

<翻訳で原文の雰囲気をできるだけ再現するということは、ニーチェが
 言うように原文の意味とリズムにあくまで忠実であるということです。
 作家がいまにも言おうとしていることを捉え、彼の息吹、気息に従って、
 彼の饒舌、沈黙、激情、放棄、ユーモア等々を理解し母国語にすること
 です。文体とは肉体です。>
(https://twitter.com/sosodesumus/status/619352189551661056)

<小説の翻訳を自分の語彙の豊穣さなり何なりを駆使して「そこで言われて
 いる意味・含意等」を無視して自分の芸を披露するために作り替えてしまうの
 ならパロディーやパスティッシュでもやればいいということ。翻訳の意味はない。
 単なる「詐欺商品」にすぎない。翻訳は母国語を拡大する方向でやるべきだ。>
(https://twitter.com/sosodesumus/status/619370371574296576)

<翻訳について述べるのは、自分がやっているだけにほんとにめんどくさいが、
 私がいいと思われる翻訳考は知っている限りではニーチェ(善悪の彼岸)、
 ベンヤミン、ミラン・クンデラです。みんな同じことを言っている。例えば、
 ベケットをつるつるの文章でやればベケットでなくなるのは一目瞭然。
 他も同じ>
(https://twitter.com/sosodesumus/status/619372420605046785)

 <翻訳で原文の雰囲気をできるだけ再現するということは、ニーチェが
 言うように原文の意味とリズムにあくまで忠実であるということ>、
 <文体とは肉体です>、
 <翻訳は母国語を拡大する方向でやるべきだ>、本の形で読んだら、
思わず付箋をはさむなり、傍線を引きたくなるところだ。


 鈴木氏がこれらの文章を記すきっかけとなったのが、若手作家(?)
による、鈴木創士 訳「花のノートルダム」への悪口だが、これは若手
作家氏が、喧嘩を売って名前を売る営業活動をした、ということでは
ないかしら、結果的にだけれど。
 鈴木氏のtwitterを読んだひとは、悪口の内容が知りたくなり、若手
作家の名前をweb検索して当該tweetを読む。と同時に、枠外にも
目が行き、彼の著作名を知ることになる。だからってその本を買って
読むことにはならなくても、少なくとも名前は認知される...。





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by byogakudo | 2015-07-11 15:26 | 読書ノート | Comments(0)


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