2015年 07月 12日

廣津和郎「続年月のあしおと」読了

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~7月10日より続く

 写真はクリックしてご覧ください。ひっそり、ぽしょんとした猫だった。

 「続年月のあしおと」は主に戦中の様子が記され、敗戦の日で終わる。
軍事政権下の日々の憂鬱に加え、家庭的にも困難が続く。若い愛人との
泥沼、母(義母)の病いと死、大学生の息子の闘病と死、などが連続する。
 特に愛人問題からひと息つくためもあって、広津和郎は当時の植民地、
台湾と満州を訪れ、植民地での日本人の醜い行状を見る。

 植民地を持つことについては広津和郎は問題視しない。そこは明治人で
ある。

 『五十五 満州の日本人』より引用__
<五族共和とうたっている満州国で、日本のために戦死した人の忠霊塔を、
 到るところの停車場の前に建てて、その前で満人にも白系露人にも、誰にも
 すべてお辞儀をさせようというのであるが、こういうひとりよがりのことを
 他民族に強要しようというところが、日本人の癖らしい。台湾で本島人の
 信仰する媽祖廟を焼き払って、「天照大神」という札を農家の軒に貼らせて
 いたということは、前に台湾のことを書いた時に述べたが、丁度それと同じで、
 日本人の忠霊塔に他民族をお辞儀させようというのである。まさか軒に「天照
 大神」と貼らせれば、台湾人が天照大神を信仰するようになると、本気で考えた
 わけではなかろうし、又忠霊塔にお辞儀させれば、中国人や白系露人が、心の底
 からみんな日本の軍部に感謝の念を捧げるようになると、本気で考えているわけ
 でもなかろうが、こういうようにすれば、何か威令がおこなわれたことになると
 でも錯覚するのであろうか。どうもこの威令がおこなわれるという考え方を、
 日本人は余程好きらしい。>(p222上下段)

 ひとりよがりの世間知らず、夜郎自大の田舎者、今に続く日本人のメンタリティ。
なんにも変わっていない。

 『五十六 折角のチャンスを失った日本』では、クリスティー/矢内原忠雄 訳
「奉天三十年」(岩波新書)を引いている。日露戦争から10年も経たない1914年
に発行された、医師で宣教師のクリスティーの手記だ。
 以下、「奉天三十年」からの引用__

<この前の戦争(註・日清戦争)の時における日本軍の正義と仁慈が謳歌され、
 総ての放埒は忘れられていた。戦勝者が満州の農民と永久的友誼を結ぶべき
 一大機会は今であった。度々戦乱に悩まされたこれらの農民たちは、日本人を
 兄弟並びに救い主として熱烈に歓迎したのである。かくしてこの国の永久的領有
 の道は容易に開けたであろう。
 [中略]
 然るに日本人の指導者と高官の目指したところは何であるにせよ、普通の日本
 兵士並びに満州に来た一般人はこの地位を認識する能力がなかった。一大国民
 を打ち負かした、日本は優秀最高だ、支那は無視すべし、こういう頭で、彼等は
 救い主としてではなく勝利者として来り、支那人を被征服民として軽侮の念を
 以て取扱った。
  平和になると共に、日本国民中最も低劣な、最も望ましくない部分の群衆が
 入って来た。支那人は引きつづいて前通り苦しみ、失望は彼等の憤懣をますます
 強からしめた。戦争が終った今、居残った多くの低級な普通民から、引きつづき
 不正と搾取を受ける理由を彼等は解しなかった。ある一人がいった如く『ロシヤ
 人は、時には我我の財産をただで取り上げるが、それよりも、その四倍も払うこと
 の方が多い。日本人は何でも金を払うというが、実際の価値の四分の一も呉れる
 ことはない。』>(p226~227)

 『五十九 大蔵省は開拓村に反対』は、満州から戻ってひと月経った頃、満州を
視察旅行した作家たちが拓務省に呼ばれた。広津和郎は、緬羊を飼育する開拓村
の村長から聞いた話を伝える。村長によれば__

<「[略]昨年度は満州全体として、農村から予定通りの供出がないから、開拓村
 の収穫も供出しろといって来たのですが、[中略]
 飼料を確保するために供出できないというと、緬羊の飼料は飼料で別に配給
 するから、とにかく一応供出してくれとのことで供出したんですよ。ところが
 どうです、飼料の配給はしてくれないではありませんか。こちらとしては三百頭
 の緬羊を全部餓死させるわけにはいかない。そこで仕方がなしに百頭を撲殺しな
 ければならなくなったのです。[以下略]」(『五十八 緬羊百頭を撲殺する』 p236)

 この件は、新京の新聞記者の解説によると__
<本来満州の農村からの大豆その他の穀(こく)類は、糧桟(りゃんざん)の手を
 通してスムースに供出されていた。糧桟というのはつまり農村のブローカーで
 あるが、その糧桟を無視して、日系官吏が机上計画から直接農村に向って供出
 命令を下したものだから、ぴたりと農産物の供出が止ってしまったのだそうである。
 [中略]
  「農村の仕来りも習慣も考えず、糧桟を無視して、机上計画で居丈高に命令など
 するものだから、そんなへまなことになってしまったんですよ。__併しここに驚く
 ことには、その糧桟の裏側に日本の△△財閥があるんですからね」>
(『五十八 緬羊百頭を撲殺する』 p236~237)

 まだある。この緬羊・開拓村では未だ、鋤と鍬で開墾しているという村長の弁
__
<「[略]われわれも鋤と鍬で耕していることは如何にも愚かなので、北海道
 農法を取り入れようと思って、二年前に北海道に二十万円を送って農具を
 注文したんですよ。それが出来上ったというので、一年半前に、その農具を
 送り出したという積荷の知らせが来ているのです。
 [中略]
 未だに品物は私共の手許に届かないのです」>
(『五十八 緬羊百頭を撲殺する』 p237)

 この届かない理由が『五十九 大蔵省は開拓村に反対』で明らかになる。
 つまり、大蔵省が開拓村に反対している。拓務省が農具を送ろうとすると、
満州に輸出する鉄の量の制限を越えると、大蔵省からストップがかかる。

<国民としてこの開拓村設置に賛成か不賛成かといわれたら、われわれでも
 両手を上げて賛成するわけには行かないかもしれない。併し国民として今更 
 驚くのは、国の目的として大仕掛けに計画したに違いないと思われるこの事業
 に、大蔵省と拓務省とが対立している事実である。これはいわゆる役所と役所
 とのセクト主義の争いなのか。或は今の日本がやっていることは、何処にも統一
 がなく、何から何までてんやわんやなのか。>(p241~242)

 軍人も役人も民間人も、植民地でカラ威張り、内地でもカラ威張り。

<帝国軍人、天皇直属__という考えが、わけの解らない思い上りを、彼等に
 与えて、国民を虫けらのように軽蔑させていたらしい。とにかくそういう場合に
 この国の人間がむき出しにする心のキメのざらざらした粗(あら)さは、何とも
 いいようがない。
 [中略]
 軍人とそれに尻尾を振る官僚__殊に内務官僚たちの国民に対する思い上りは、
 一日一日とこの国を息苦しいものにさせて行った。>
(『六十一 頭にかぶさる暗雲』 p244上段)

 役所間の横の連絡の悪さ、責任を取る者が誰もいないというミステリー、一旦
事業が始まると、途中で停止させられない"やめられない、とまらない"(©栗本
慎一郎だったと思う)症候群、 役人の役人による役人のための役所という閉鎖系
生態系...。すべてのこの世の悪を、高級官僚とビューロクラシーに被けようとは
思わないけれど、今の不幸な日本は、資本と高級官僚とが手を結び、政治家を
使って演出している結果だとは思う。

 戦争法案をつぶすと同時に、不特定秘密保護法を憲法違反で提訴することから、
もう一度やり直せないか。少なくとも憲法は、まだ市民のものだ。

     (廣津和郎「續年月のあしおと」 講談社 1967初 函 帯)



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by byogakudo | 2015-07-12 17:34 | 読書ノート | Comments(0)


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