猫額洞の日々

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2015年 08月 19日

まだ吉田健一「絵空ごと・百鬼の会」を読んでいる

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 写真は、昨日の散歩の折りに。まだ新建材じゃないお家がある。新建材の
住宅のほうがノシてきているけれど、それでも重い瓦屋根の木造や、昔の
ままの文化住宅が残っている。

 崖の上のお屋敷も低地の長屋の並びも、どちらも好きだ。お金持ちだから
って差別しちゃいけない、ってところで、~8月16日の続き

 登場する誰もが何ものでもなく、何か仕事をしているふりさえしないで
すんだり、肩書きを持たなくて過ごせるようなお金持ち揃い、という設定に、
まず笑う。

 読んでなくて大雑把なイメージで言ってしまうのは悪いことだけれど、日本には
リアリズム小説というものがあるようで、そこでは貧しい暮らしの克明な描写こそ
リアル、お金持ちの生活を正確に描いても、それは虚飾な生活。従って、うそ、
という偏向が伝統的につきまとうようだ。そういう偏見をくつがえす大胆な設定
である。タイトルからして「絵空ごと」と宣言する。

 貧乏でも暇人であることは可能だが、お金持ちで暇人であるほうが、より
できることが多い。

 という訳で話は、元さんというお金持ちが持つ精巧な絵の模写が壁に掛けられ、
何ものでもない暇人であることが共通項のお金持ち数人が集まって過ごせる家を
造っちゃおう、というところまで来た。個人住宅のふりをして、みんなが集まれる
場を造る。
 あら、竹林の七賢、地上には存在しない理想郷ということで、山田風太郎「天国荘
奇譚」も思い出したが、まず佐藤春夫「美しき町」との違いだ。

 「美しき町」はロマンティックな物語の常として、夢は破綻しなければ美
(美しい町)が完成しない。「絵空ごと」は非ロマンティックな小説なので、
美しい夢の家が完成することで小説も完結する。どちらもフィクションだが、
小説の進行方向が逆。

 で、この先どう展開(?)しようとしていたのか、そもそも考えていなかった
のか、それさえ呆然としているので、明日また続きが書けるようなら書こう、
思いつかなかったら、たぶんこのままだ。いいのか、そんなことで?

     (吉田健一「絵空ごと・百鬼の会」 講談社文芸文庫 1991初 J)

8月20日に続く~





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by byogakudo | 2015-08-19 22:02 | 読書ノート | Comments(0)


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