猫額洞の日々

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2015年 08月 23日

椎名誠「風景は記憶の順にできていく」読了

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 写真は8月18日の散歩で会ったカエルさん。急な坂道を降りようと
していたら、斜面の途中で力つきたのか、日向の方に停まっていた。
ふだんはどこかのお庭に棲んでるのだろうが。

 「小説すばる」2012年1月号から2013年1月号連載の「風景進化論」
に加筆・修正した、とある。椎名誠は1944年生れだから連載時は67~
68歳くらい。

 椎名誠の感傷旅行あるいは舞踏会の手帖の風景版だが、わざわざ
年齢のことを言い出すのは、68歳でかなりな距離の疾走をやったよう
なのだ。

 小学校の遠足で行ったきりの銚子の灯台を再訪しようと、東京駅で
中央線下車、早足でも10分かかって地下三階の京葉線に着いたが、
列車が見当たらない。京葉線じゃなかった、プラットフォームを間違えた。
 彼が乗ってきた中央線の真下の地下三階にある総武線に乗るべきだった
のだ。特急発車まであと6分弱。そこで今までの移動空間を人を掻き分け、
階段を転げ落ちそうになりながら走って戻り、発車20秒前で間に合う。

<一気に走れたのは毎日やっているトレーニングのおかげだろう。
 でも座席にへたりこんでしばらく全身であえいだ。>(p222)
 体力と縁がないので恐ろしい話だと思う。信号待ちが嫌いなSが黄色で
走ろうとするのにも腹を立てるくらい、走ることが嫌いで苦手なので。

 椎名誠は25歳から20年間、小平市に住んでいたとある。1969年から
1989年くらいだ。わたしは70年代後半、国分寺市南町に部屋があった。

< 秋の頃は東京駅から電車に乗って吉祥寺(きちじょうじ)まで来ると
 「ホッ」とし、国分寺まで来ると「ゾッ」とする、とよく言われた。
 まだそれだけ都心とは実際の空気感がちがっていたのだろう。>(p55)
 これは覚えがある。夏の夜、渋谷から戻ってくると、確実に2℃は
涼しいと感じられた。湿気の少ない夜風が吹いていた。

<久しぶりに訪ねたその駅はかつて栄えていた北口が取り残された
 ように汚くさびれ、かつてあまり降りる人もいなかった反対側の
 南口が圧倒的に立派になり、風景に活気があった。>(p56)

 そんなぁ...。
 南町に住んでいたとき、近くにお店がないから、ガード下を通って
北口に周り、スーパーマーケット(たしか「西友」)で買い物をする
前に向かい側の新刊書店で文庫本を買い(「ハリウッド・バビロン」も
ここで買ったが、何という本屋だったか?)、読み終わるとジャケットを
捨てた本で申訳ありませんと謝罪しながら「国分寺書店」のオババさまに
引き取っていただいていた。

 国分寺北口、正確には恋ケ窪に住むようになられた方からお誘いを受け、
涼しくなったらお邪魔しようと思っていたところに昨日「伊呂波文庫」で
この本に会い、いろいろと思い出す。

 空間は時間でもあるので、同じ場所を再訪しても同じ風景に会うわけは
なく、訪れた身体自身、時を経てもはや変わっているので定数(観察者の
資格)ではなく、つまり一回性の世界で思い出すってどういうことだろう。

 本から離れてあれこれ思い出したり考えたり。

     (椎名誠「風景は記憶の順にできていく」
     集英社新書 2013初 帯 J)     
 





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by byogakudo | 2015-08-23 21:55 | 読書ノート | Comments(0)


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