2015年 10月 10日

伊藤計劃「虐殺器官」半分ほど

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~10月8日より続く

 "明治維新の呪い"と、ふざけて呼んだりもする事柄があって。

 半島経由で大陸から漢字を輸入して、日本語表記方法を開発して
以来のアレンジ能力がすなわち日本文化だが、明治維新の頃は大変
だったろうと思う。それまでの文脈、コードにないもの/ことを
日本語に変換して流通させなければならなくなったのだから。

 "和魂洋才"なんて言って分離して使おうとしても、それは無理。
無理を承知で明治維新以来ずっと、その都度、なんとかやりくりして
事態を凌いできたわけだが、接ぎ木の無理は、たとえばロックの曲は
できても日本語で歌詞が書けない、どうしよう、という問題として残る。
 日本語を流れる拍動と英語のそれとは異なり、ロックの曲は英語の拍動
に従って作られているのだから、どう対処するか。解決のひとつがサザン
オールスターズの手法であり、ヴォコーダー使用、あるいはインストゥル
メンタルのみ、と様々なやり方で対応してきた。最初から英語で歌詞を書く、
という手も。

 伊藤計劃のブログにも、SF映画と日本人の顔とが合わないという決定的な
問題が記される。実写をやめてアニメにする、押井守式のポーランド・ロケ+
ポーランド人俳優起用、と解決方法が挙げられる。

 SFを書くときに伊藤計劃が採用したのが、初めからアメリカ人の主人公に
物語を語らせる方式で、日本語でこれを読むわたし(たち)は、ごく普通に
翻訳SFを読むときの受けとめ方で読んでいく、なんの齟齬もなく。
 呪いの払いのけ方の一例である。

 む、ふと思い出すのが、晩秋になると季語のように取りざたされる"村上
春樹"という固有名詞だ。初期の2、3篇しか読んでいないが、あれも翻訳
文学みたような感触の日本語だった。伊藤計劃はもっとナチュラルに(!)
日本語だけれど、英訳されてもすんなり英語作品として通用するであろう
内容__という雑な言い方をしてはいけないが、文意を酌んでください。
__であり、そのままSF映画にも変換し得る構造でありそうだ。

     (伊藤計劃「虐殺器官」 ハヤカワ文庫 2010年26刷 J)

10月11日に続く~





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by byogakudo | 2015-10-10 21:38 | 読書ノート | Comments(0)


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