2015年 10月 19日

野口冨士男「私のなかの東京 わが文学散策」を読み始める

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 写真が、そのジャギュアだかジャグゥア(昨日の話の続き)。

 野口冨士男が「文學界」昭和51(1976)年10月号から
昭和53(1978)年1月号にかけて書いたエッセイが、昭和
53(1978)年6月に単行本「私のなかの東京」として文藝
春秋から出版され、1989年、中公文庫に収められた。
 読んでるのはこちらの方。

 野口冨士男は明治44(1911)年、麹町生まれ。そういう人が、
のっけに
< せめてもう三、四年早く生まれていたかったとおもうことが
 しばしばある。>(p9)と言い出す。第一章に当たる『外濠線に
そって』冒頭である。

 なぜ、そう思うのか__
< 大正十二年九月一日の関東大震災のとき私は小学校の六年生
 であったが、中学の三、四年生になっていたら、もっと震災前の
 東京のあちらこちらを見ていただろうとくやまれてならない。>
(p9)
__そんなぁ、殺生な...。こちらは高校までじっと南九州で待機
して、ようやっと東京に逃げて来た(それ以来居座っている)、
というのに、なんて贅沢なことを...。

 しかも、
<私は神楽坂に住んで芝の小学校へかよっていたから、自分と
 同年の少年たちにくらべれば、なにほどか広い東京を知って
 いたといえるだろう。
  大正七年[注:1918年]に私が入学した小学校は慶応義塾の
 幼稚舎で、
 [中略]
 飯田橋から市ヶ谷、四谷、赤坂、虎ノ門を経て札の辻に至る系統
 の市電__のちに都電三号線となった外濠線を毎日往復していた。
 しかも牛込から芝までといえば、旧十五区時代のせまい東京市の
 南北縦断の全長にちかい距離であった。>(p10)
__(ちぇっ、いいなあ...。)

 時代は離れるが、小林信彦は野口冨士男と逆に、下町に生まれて
山の手の学校に通い、文化的なちがいを体感する。東京に生まれて
下町・山の手、両方を知る作家の東京エッセイはおのずと複眼的に
なり、内に在りながら"外"の視線をもつ。外がなければ内側は語り
得ない。

     (野口冨士男「私のなかの東京 わが文学散策」
     中公文庫 1989初
     J画・小林清親「小洒落異誌」(さざれいし)より)

10月20日に続く~





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by byogakudo | 2015-10-19 20:56 | 読書ノート | Comments(0)


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