2015年 11月 11日

池田弥三郎「銀座十二章」を読み始める

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 昨日web上で悲鳴を上げたおかげだろうか、目の前から
ローレンス・ブロックの山を遠ざけることに成功。ひと安心
して池田弥三郎の、たぶん、再読にとりかかる。既読だと
したら旺文社文庫版のはずだが、なんにも覚えていやしない。

 『一の章 四丁目の角』より引用。昭和5(1930)年10月、
不況のどん底にあったころ、池田弥三郎の父は、天金本店
の隣に大衆向きのてんどん専門店を開く。

< てんどんが三十五銭で、それに十五銭のおわんに、サービス
 に名物のこまかいおこうこをつけて、「どんわん五十銭」とし、
 店の名を、「天金食堂どんわん」と名のった。ある新聞が匿名
 でわる口を書いて、「どんわんとはしゃれにもならぬ。天金
 には池田大伍がついているはずなのに」と言った。当の叔父は
 わたしに向って「おまえのおやじはむかしからこういうことが
 うまくてね。どんわんとはいいじゃないか。これははやるぜ」
 と言った。>(p18)

 "おこうこ"にも感激(?)したけれど(わたしの語彙には
"おつけもの"しかないが、"おこうこ"や"からかみ"は、素敵な
日本語、いや、東京語だ。ついでに言えば、"みそしる"ではなく、
"おみおつけ"を復活させたく、TVドラマで見る、食卓を前にして
合掌して頷き「いただきます」と言うのを、わたしの子ども時代
風に、合掌なし、両手を膝に置いて軽く頭を下げて「いただきます」
と言う形に戻せないだろうか。あの合掌スタイルには、どうも怪しい
ジャポニズムを、わたしは感じる。)、丼に椀だから、そのもの
ずばり、"どんわん"。

 響きがダイレクトだし、「天金食堂どんわん」と書かれた看板を
見たひとが、「どんふわん」と読みそうになってクスっと笑うこと
もありそうではないか。すばらしいネーミングセンスだ。新聞に
悪口を書いた記者は、音感が乏しかったのだろう。

 天金は、いまの和光の近くにあった。同じく『一の章』から、

< わたしなどは、子ども心に、銀座尾張町こそ銀座の中心で、
 銀座のまんまんなかの銀座尾張町こそ、東京のまんまんなかで
 あり、日本の中心地点だという誇りを持っていた。
 [中略]
  わたしは、「東京のどまんなかに生れた、生粋の江戸っ子
 池田さん」などと紹介されると、ぞっとする。もちろん、
 どまんなかという語ばかりではない。
 [中略]
 このごろは東京育ちの人たちまでが、こういう場合に
 「どまんなか」というのはなさけない。どまんなかという
 ような、大阪においても野卑なはずの、河内あたりからの
 移入語は、プロ野球の中継のアナウンサーだけにしてもらい
 たいものだ。>(p24~25)

 いなかものが、ここで喝采するのは滑稽で僭越かもしれないが、
わたしも"どまんなか"嫌いだ。響きが暑苦しく押しつけがましい。
 文末が<してもらいたい>であって、<してほしい>じゃないところ
も、すてきな日本語、ないし東京語の語感だ。

     (池田弥三郎「銀座十二章」 朝日文庫 1997初 J)

11月16日に続く~





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by byogakudo | 2015-11-11 21:11 | 読書ノート | Comments(0)


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