2015年 11月 16日

池田弥三郎「銀座十二章」読了

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~11月11日より続く

 "銀座追慕__すべては移りゆく"といった読後感だ。明治になって
繁華になった銀座という街が、大火や大震災、空爆、復興を経て、
何度となく甦り、変わってゆくありさまが、銀座に生まれ育ったひと
の口を通じて語られる。

 当事者が"内"を語るのはむずかしい。学者の意識・眼差し・手法の
持ち主だったから"外"の視線を持って書くことができた、銀座物語だ。
幼稚舎からの慶応義塾育ちという"外"があったので、"内"なるわが町・
銀座を語り得る。ひとつの身体に山の手の視線が宿り、下町・銀座の
肖像が描かれた。

 そういう池田弥三郎だからこそ、『八の章 銀座太平記 上』と
『九の章 銀座太平記 下  附 有楽座のこと』が書けたのだろう。
 生家である天金と、隣家・服部時計店(現・和光)との間に起きた
土地争いを、恬惔たる調子で記録する。

 先代・先々代での争いであり、子孫の池田弥三郎と服部時計店の
子孫とは、慶応義塾の先輩と後輩の間柄だ。歴史的興味からの記述
であるが、生家の話であるから、一抹の思いが窺われなくもなく、
と同時にそれは、銀座という街(住人にとっては小さな区画で感じ
とられる"町")や、銀座商人の在りようや、資本主義経済の変遷を
描くことになる。

 天金の先々代・未亡人の論理は、長年、(人力車の)秋葉から借りて
きた土地である。そのつき合いを無視して、秋葉が服部時計店に土地を
売却したのが納得できない、というものだ。長年の情義と、勃興する
資本の論理が対決する。
 現在なら居住権が持ち出せるけれど、資本主義の初期だから、売り手と
買い手の論理しかない。天金側が負けた。

 "内"であり"外"である視線・自意識は、銀座を描くどの章にも現れる。

 『十の章 わが銀座の記』より引用__
< 銀座の飲食店についての、そうした記憶をたどってゆくと、
 わたしと銀座との関係が、二つあることに気がつく。それは、
 銀座に住んでいるわたしとの関係と、もう一つは、盛り場と
 しての銀座へ出入りする、客としてのわたしとの関係である。
 つまり、土地ッ子としてのわたしと、ストレンジャーとしての
 わたしという、わたしの側の二側面が、銀座の飲食店の思い出に、
 多少、普通の人と違った起伏を与えているように思う。
  銀座はもともと、土地ッ子によって栄えた街ではなく、銀座の
 繁栄は、銀座以外に住む人々が集って来ることによって、もたら
 されたものだ。>(p200)

 いまの銀座で店をやりながら、住まいも銀座である例は、もう
存在しないだろう。最後の土地ッ子による銀座物語が残された、
ということである。

     (池田弥三郎「銀座十二章」 朝日文庫 1997初 J)





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by byogakudo | 2015-11-16 21:17 | 読書ノート | Comments(0)


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