猫額洞の日々

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2015年 11月 27日

(1)ヒラリー・ウォー/法村里絵 訳『この町の誰かが』読了

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 1990年か、そのちょっと前、人口18.000人のコネティカット州
クロックフォードで殺人事件が起きる。20年くらい前までは人口
3.000人の農民と漁民の町が、今ではアッパーミドル・クラスの町
になっている。

 少数派の黒人も小学校の校長として招かれるような、リベラルな
町で、ハイスクールの16歳の少女が強姦され惨殺される。親も友人も
それほど美人じゃないと証言するのに、殺された途端、マスメディア
で"美少女"扱いされるのは、いずこも変わらない。

 関係者の証言を編集するルポルタージュ・タッチで、物語が進む。
 犯人が町の住人でしかあり得ないことが決定的になると、それまでの
静かで良識的な町(だったはず)の空気が一変する。人々の隠された
私生活も露わになり、誰もが自分以外の他人(ひと)が犯人ではないかと、
疑いの眼差しを交わすようになる。

 ここらまでは、よくできてると思った。証言者の、自己保身に駆られた
が故の俗物根性発露にしても、倫理性追究のプロパガンダ的強調が抑えて
あって、悪くなかったが、犯人の設定が、どうも安直に感じる。
 ここまで丁寧に書いてきて、これはないんじゃないか。アメリカの作家は、
体力芸から逃れられないのかという気にさせる、なにか大味な犯人像だ。

     (ヒラリー・ウォー/法村里絵 訳『この町の誰かが』
     創元推理文庫 1999初 J)

2017年4月17日に続く~





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by byogakudo | 2015-11-27 20:42 | 読書ノート | Comments(0)


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