2015年 12月 11日

山田稔『スカトロジア(糞尿譚)』読了

e0030187_2243227.jpg












 写真は、9日の明治座と銀杏並木。青空に銀杏の黄色が阿呆らしい
ほど絵に描いたような風景なので撮ってもらう。1960年代の写真
みたいになったが、これはフォト・パスティーシュ?

~12月9日から続く

 『I外科病院にて』と題された痔の手術のレポートの最初のほう、

< 前日のひるころ、病院の窓口でヒマシ油の小びんを受けとった
 私は、その足で街へ出てラーメンを食い、『恋人のいる時間』と
 いう女の裸体がふんだんに出てくるフランス映画を見、そして
 パチンコ屋にちょっと立ち寄った。べつに、しばしの娑婆との
 お別れに食欲、色欲、賭博欲を満足させようというのではなく、
 ただ街へ出て惰性的に行動したまでのことである。>(p120)

__こういったノンシャランスや、最後の『糞氏の思想』で金芝河の
『糞氏物語』を引用しながら語る、

< スカトローグはウンコへの偏見を排し、ウンコの復権を目ざす
 点で社会常識にたいする反逆者とならざるを得ない。だが彼らは
 要求の社会的実現を求めてはいないのである。はじめから<降りて
 いる>あるいは<超えている>、いずれにせよ次元を異にしているのだ。
 スカトローグの反逆には悲壮さでなく陽気さが、絶叫でなく笑いが、
 またある種の羞じらいが生じてくるのはこのためである。ここでは
 笑いすらがつつましやかである。
  この点に、かつて私が「永遠の、陽気な破壊者」と定義したスカト
 ローグの<ネガティブ・オプティミズム>とでも称すべきものの根が
 存在する。>(p190~191)

__メッセージ(?!)を読むと、あの時代が立ち上がってくるのである。

 ウォシュレットが標準装備になった現在、排泄コンプレックスはどんな
展開を見せるのか。このような排泄考察的エッセイが書かれる基盤は失わ
れた?のではないかしら。

 いちばん驚いた(?)のは、奥付の
<昭和52年10月15日第1刷発行
 昭和54年9月14日第4刷発行>という箇所だ。

 いまどき、こんな文学的エッセイが、文庫になるのがまず冒険であり、
重版されることなど考えられないが、70年代までは別に不思議じゃなかった
のである! 

     ((山田稔『スカトロジア(糞尿譚)』
     講談社文庫 1979年4刷 J)





..... Ads by Excite ........
[PR]

by byogakudo | 2015-12-11 14:17 | 読書ノート | Comments(0)


<< 種村季弘『江戸東京<奇想...      ライヴ・東京のかけら(人形町界隈) >>