2015年 12月 13日

種村季弘『江戸東京<奇想>徘徊記』1/2

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~12月12日より続く

 ある年代までの東京ッ子が好きなのだと思う。今の若い東京生まれ
育ちには何も感じないが(だって彼らは東京が終わってから、ここに
生まれて育ったのだもの)、東京が東京であったころを知る東京ッ子は
いいなあと思う。わたしの範疇は、大甘に甘くて、バブル経済以前の
東京生まれ・東京育ちだけれど。

 彼らとなら、ありふれた暮らしの町・東京の話ができる。バブル経済で
殺された東京に生まれるとは、郊外都市・東京に生きてきたということ
なので、あの地域性を持つ、小さな東京の話が通じそうにない。

 そんなことを思いながら、種村季弘の『江戸東京<奇想>徘徊記』を
読んでいる。戦前の昭和に生まれ育って、大人になってから東京中を
あちこち引っ越し、東京を去り、老いてふたたび、かつて知った土地を
訪れる。むかしの文学者の書き物を手に。

 壊され続けるのが東京の宿命と心得ているので、むだな詠嘆はしない
けれど、そっとため息くらいは忍ばせる。

 『11 本所両国子供の世界』、種村自身は育ったのではなく、親に
連れられた相撲見物や、菊人形を見にきたところ。小さな子どもの
ときに大男を見たところである。
 手にする本は、芥川龍之介「本所両国」。芥川が少年時代を回想する
のにつられるように、種村季弘の回想も子ども時代へと向かう。

< どうもいけない。つい小さいものへ、小さいものへと目が行きがち
 になる。>(p112)

 戦後すぐ、買い出しのリュックを背負った中学生の種村季弘は、米兵に
蹴飛ばされて仰向けになる。

< そういえば芥川龍之介も、叔父さんが若い頃に百本杭のあたりで釣りを
 していると、通りすがりの新徴組(江戸市中取締の浪士組)の侍にやにわに
 喧嘩を売られる話を書いている。
 [中略]
  これで見ると両国では、むやみに図体の大きいやつが肩で風を切って
 いるように思える。
  さあ、しかしどうだろう。
 [中略]
  帰りがけに人形問屋の吉徳(よしとく)にお邪魔して、[中略]
 活(いき)人形の名人平田郷陽(ごうよう)作の桜子ちゃんという名の
 人形と並んで写真を撮らせてもらう。
  もう成長はいい加減たくさん。力ずくののっぽは新徴組や進駐軍に
 おまかせしたい。こちらはいっそ元の小人の正体をあらわして、桜子
 ちゃんの寸法に戻ってしまいたいのだ。>(p112~114) 

     (種村季弘『江戸東京<奇想>徘徊記』
     朝日文庫 2006初 J)

12月15日に続く~





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by byogakudo | 2015-12-13 20:28 | 読書ノート | Comments(0)


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