2015年 12月 20日

加賀乙彦『頭医者』第一部『頭医者事始』再読済み

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~12月19日より続く

 『頭医者事始』は、後の小説家・加賀乙彦が医師免許は得たけれど、祖父の
ような外科医になるか、それともどこにしようか決められず、ひょんなことから
精神科に入局したインターン時代、1954年の話だ。

 助教授が古いカーテンを引き裂き、撚って作ったザイルで無事、研究室から
脱出したエピソードだけは覚えていたが(章のタイトルが『ファブリス・デル・
ロンゴ』!)、松沢病院(本の中では梅沢病院)に研修に行き、病院の創立75
周年記念演芸会で医師陣による「白浪五人男」のプロンプターをやった話など、
まったく記憶なし。
 式場隆三郎(青葉龍三・表記)の精神病院でアルバイトした件は、少し覚えて
いたが。

 敗戦後9年目、そろそろ戦後ではない時期も近づいているが、戦後生まれの
目には、いまだ戦争の影が強いと感じられる。

 大学に長年勤め、ヌシのようになっている脳研究所の小使い氏は、相変わらず
カーキー色の国民服を愛用して、事務所に住みこんでいる。机二つを合わせて
ベッドにし、軍隊毛布を敷いて寝、炊事は実験室のガス焜炉(こんろ)に圧力釜を
乗せ、ときには魚を焼いて盛大に煙を上げる。(p51)
 むかしの国立大学だから、ということもあるけれど、誰も文句を言わない。
クビにもならない。

 1929年生まれの加賀乙彦は、叔母や義母と同い年、ということは敗戦時の
16歳だ。叔母は愛国少女だったことを自己批判(という言葉を彼女は用いた)
した後、英語をほぼ独学し、ひとりで生きるための技術にした。

 外国語は何ができるかと教授に訊かれた加賀乙彦は、
< 「フランス語はまあまあ、ドイツ語は少々、英語はからっきし、というところ
 ですか」
  「フランス語、変ったのをやっとるんだね。高等学校でやったのか」
  「いいえ、あの、まったく独学です」実はフランス語をおれは陸軍幼年学校で
 習ったのだが、敗戦後十年も経たぬその頃の一般の風潮として、軍隊帰りを人前
 で明かすのははばかりがあったのだ。>(p32)

 大学当時の加賀乙彦・青年は、共産党系の活動もやっていたようで、"セツル
メント"と言う言葉も出てくるし、友人と一緒に、人事権を教授の手から取り上げ、
医局会議で決める、"ブルジョワ民主主義的改革"(p80)もやってみた。すると、
万事何事にも時間がかかり、煩雑でしかたない。

 選挙で医局長になった先輩がぼやく。
< 「ぼくみたいな戦中派はね、民主主義てのはよく知らないから、きみたち若い
 もんの新しい動きに感心して、医局長に立候補してみたんだけど、こんなに七面倒
 だとは思わなかったね。[中略]
 もしぼくが辞任して誰も医局長になり手がなかったら、人事権を教授に返却しよう
 と思うんだけどね。」>(p95)

 50年代前半は、そういう時代だったのか。

     (加賀乙彦『頭医者』 中公文庫 1993初 J)

12月21日に続く~





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by byogakudo | 2015-12-20 20:49 | 読書ノート | Comments(0)


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