猫額洞の日々

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2016年 01月 07日

まだまだ続く、東秀紀『荷風とル・コルビュジエのパリ』

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~1月6日より続く

 つい荷風の章の方に目が行ってしまう。

 荷風は1903年から1907年までアメリカで銀行勤めなどしていたが、1907年
から1908年にかけ8ヶ月をリヨンで銀行員、2ヶ月をパリでモラトリアムして、
1908年7月15日、日本に戻ってきた。
 『第三章 都市の憂鬱』の『1・黄昏』より引用。

< 東京に帰宅した翌日、父親から今後の身のふり方を尋ねられる
 [中略]
  つまらぬ職業に就かれては、かえって一家の名誉に関わると考えた
 父久一郎は、
  「家には幸い空間もある、食物もある。黙っておとなしく引っ込んで
 居てくれ」
  と言った。
  放蕩息子を見限りながらも、冷たく突き放すことのできない父親の
 温情であるが、期待に答えることの出来ない荷風の心中は暗鬱であった。
  荷風は自分の部屋に閉じ籠もりながら、パリで知り合った上田敏(びん)
 にフランス語教師の就職斡旋を頼む一方で、小説を書き始めた。>(p106)

 これは今でいえばニートだ。アメリカに行った(行かされた)ときの旅費も、
職業未定のまま行ったのだから父親持ちだろうし、父親のコネで勤めるが、
勤務態度、いい加減。雇った方では父親との関係上、辞めてくれとは言い
にくいし、本人から辞めたいと言われてほっとするだろう。

 イエ制度は最初は、個体保持のために集結することが有効だったから
できたシステムだろうが、システム自体に自己保存本能(?)みたような
ものが働くから、手段だったシステムはいつの間にか目的化する。
 荷風が長男でなかったら、さっさとどこか貧しい親戚に、持参金付きで
養子に押しつけたりできたろうが、イエを継ぐべき長男である。なんとか
矯正できないものかと、父親側に立って眺めれば、そうなる。

 荷風と彼の経済事情について書かれた(と思う)本が出たことがあるけれど、
何てタイトルだったかしら、あれを買っておくべきだった。だって永井荷風が
原稿料のみで生活を賄うようになったのは、1945年の敗戦以後でしょう?

 長子相続のイエ制度があったから、父の死後、財産はすべて長男・荷風に
属した。原稿料なんて、お小遣いくらいにしか意識されなかったのではない
かしら。円本ブームのときの印税は、さすがに一財産だっただろうが。

 焼け出されて、あちこち放浪してやっと戦争は終わったが、それまでの生活を
支えていた株券だの何だの、財産の価値はぐっと低下しただろう、無価値になった
かもしれない。
 そうでなかったとしても、1879年生まれの荷風は敗戦時、66歳になっている。
あの当時の66歳は十分な老人だ。家族を持たないから、イエ制度(あの頃は
まだまだ十分、機能していた)にも頼れない。老人になって、生まれて初めて、
原稿料で自活する生活を始める、なんて冒険的! 冒険向きではない人格なのに。

 関東大震災の後、荷風は復興のための普請中の東京を捨て、パリに暮らしそこで
一生を終えることを考えるが、実行に至らなかった。
 あまりに遠いフランス。今みたようにパリで生活しながら日本語作家であり続ける
ことなど、考えることもできなかった。

<断念したのは、彼が自分の仮構したパリが壊れることを恐れるが故であった
 のか。あるいは出費に異常な程の恐怖心を抱く、身寄りのない利子生活者と
 いう、彼の性格がもつ限界によるものであったのか。
  <僕が一二度そういう話をもちだすと、彼は或る特別な表情をしました>
 (「永井荷風」)
  文芸評論家の中村光夫は、晩年荷風になぜパリに再び行かなかったのか、と
 聞いた時の反応をこう書き記している>
(p129~130『第三章 都市の憂鬱』の『2・日和下駄』) 

 イエ制度の残滓みたようなものは、お墓に相変わらず刻まれる「○○家の墓」
という文字や、結婚で夫側の姓に変える女性が96%だったか、そんな辺りに
残っているが、核家族が一般になり、子どもが個室を持つのが当り前になった
現在から荷風の時代を見ると、なんて遠くまできたのだろう。

 ブルジョア家庭でもないのに、個室に引きこもる子どもが存在する。戦前と比較
すれば、日本は豊かになった、ということか。
 戦前なら、貧乏人の子沢山で、小さいときから働かないわけに行かない。貧しい
家庭には、家族で住むためのぎりぎりの空間しかない。子どもの個室や、夫婦の
ための独立した寝室など、望み得ない。

 国内に貧乏人を再生産して、搾取の対象にしようという政策が着々と実行中だから、
今あるニートという暮らし方も、やがて存在できなくなるだろうか。
 お題目は自助努力。どうして貧乏人同士が、このフレーズに惑わされて互いに噛み
合い、殺し合わなければならないのだろう。敵は明らかなのに。__話は荷風から
遠いところに来てしまった。

     (東秀紀『荷風とル・コルビュジエのパリ』
     新潮選書 1998年2刷 J)

1月9日に続く





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by byogakudo | 2016-01-07 21:23 | 読書ノート | Comments(0)


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