2016年 01月 09日

やっと、東秀紀『荷風とル・コルビュジエのパリ』読了

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~1月7日より続く

 ル・コルビュジエの本を読んでないし、作品の写真もちゃんと見てないし、
つまりよく知らないけれど敬遠してきた建築家だ。上野の美術館も、あれを
土俵入りする横綱に例えれば、太刀持ちか露払いに当たる、弟子の作品、
東京文化会館のほうが好もしいと思うし。

 近代の建築作家たちに大きな影響を与えてきたのだろうが、その一例として
ル・コルビュジエのファッションが挙げられていた。

<ぴったりとしたスーツに身を包み、蝶ネクタイを締め、縁のある丸眼鏡を
 かけた、いわゆる彼のトレードマークのスタイルが>(p143)
< わが国の丹下謙三の蝶ネクタイ、ルーブル美術館におけるガラスの
 ピラミッドを設計したI・M・ペイの丸眼鏡にも、われわれはコルビュジエ
 の影響を見ることができる。>
(p147『第四章 夜の果てへの旅 1・プレシジョン』)

 そうだったのか。
 建築家と彼のファッションで思い出したが、自分に似合わない服を着て
人前に出る建築家に、仕事を頼む気になるだろうか。革のロングコート
(明らかに似合わない)に身を包んで、根津美術館の庭に立つ隈研吾の
姿をTVで見たのだが。
 建築にも物知らずな素人が勝手なことをほざいているが、壊されてしまった
競技場の跡に隈研吾のあれ? 彼の作品から来る印象は、"建築家"の骨格性
ではなく、"装飾家"・"デザイナ"のにおいだ。見てくれの"和"風、洗練された
"ジャポニカ"趣味。建築としての弱さを引き算式の装飾で補う...。

 大川端のフィリップ・スタルクとか、あれらの派手で奇矯さを見せびらかす
(バブリーな)ポストモダーン建築は、いま見ると、どんな感じだろう? 

 人間の意思を表明するというか、つまりはオスの意思をムンムンさせてる
近代建築の反動として、ポストモダーン建築は登場してきたのだろうと邪推
するが、あのカメラ目線が厭。写真に撮られたとき、いちばん効果を上げる、
その装飾性。キャッチーであることを十分解ってやってて、目配せしながら、
見る人に共犯性を押しつける厚かましさ。
 近代建築はオスの暑苦しさを感じさせるものではあるけれど、建築家の意思は、
人目をはぐらかそうとせず、ストレートに伝えられる。文責ならぬ建責の在りよう
が見える。__そうか、建築家と映画監督とは、共同作品である建築や映画に、
最終責任者の署名をするのだ。

 都市計画家でもありたいと願ったル・コルビュジエの長く執拗な試みは、すべて
未遂に終わる。

<コルビュジエは、[中略]政治闘争には全く興味はなかった。彼が信じているのは
 彼自身の建築であり、都市計画であって、それを実行させてくれるならば、顧客は
 ファシストでも、コミュニストでもよかったのだ。彼はあくまでも芸術家として
 「詩人」であり、そして社会的には非政治的な「技術者」のつもりでいたからである。
  モダニズムを毛嫌いしたヒトラーは別として、コルビュジエはスターリンにも、ムッソ
 リーニにも接近を試みている。>(p163『第四章 夜の果てへの旅 2・輝く都市』)

 <芸術家として「詩人」であり、そして社会的には非政治的な「技術者」のつもり
でいたから>、そして偉大な(たぶん)建築家・芸術家だったから、社会的な責任は
免除される...?

< パリ陥落から解放までの四年間を、私たちは、フランス人の多くが、レジスタンス
 としてナチス・ドイツと戦い続けたと思いがちである。
 [中略]
 占領下にドイツの機関に雇われたり、親独的な政党に加入した対独協力者は国民
 全体の一パーセント足らずであった。
  しかし、英国で亡命政権を樹立したシャルル・ド・ゴール将軍らの呼びかけに応じて、
 レジスタンス運動に加わったのも、実は国民の二パーセントに過ぎない。残りの九七
 パーセントにあたる、大多数のフランス人は当初は休戦の道を必要悪として選んだ
 ペタンを支持していたのである。>(p182『第四章 夜の果てへの旅 3・ヴィシー』)

 いつだってどこだって勝てば官軍だけれど、ヴィシー政府の力で自分の都市計画を
実現させようと、スイス国籍を捨ててフランス人になったル・コルビュジエを、

< 英国の建築評論家チャールズ・ジェンクスは、書いている。
  <ひとはこの時代の彼の思想や行動を、そしてヴィシー政府は自由論者の計画を
 認めたのだという彼の考え方の素朴さを嘆くかもしれない。しかし、建築的には、
 彼はもっとも深いところで委任されたレベルに関する誠実さと完全な正直さを疑う
 ことはできない。おそらく、芸術家というのは、日常の体験を超えて行かねばなら
 ないものだが、政治的欠陥は許されている。
 [中略]
 芸術家が許されないものは政治的主題に関して彼の芸術を妥協することである。
 これは、ル・コルビュジエは決してしなかった>>
(p199『第四章 夜の果てへの旅 3・ヴィシー』)
__でもあろうが、根がいなかのひとなので、政治的には目茶苦茶な振る舞いをした、
という解釈はできないかしら。

 波及的にあれやこれと考えられて、面白い本だった。

     (東秀紀『荷風とル・コルビュジエのパリ』
     新潮選書 1998年2刷 J)





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by byogakudo | 2016-01-09 16:02 | 読書ノート | Comments(0)


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