2016年 01月 15日

正宗白鳥『新編 作家論』1/4

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 なかなか捗らない。作品を知らずに作品評、作家評を読むから
いけないのか。でも、知らないミステリの批評などは、興味深く
読んできているではないか。
 仏頂面が好もしい正宗白鳥だからと買ってきたのだが、批評の
対象が、なじみの少ない明治の作家たちなので、読む速度が遅く
なるのか。

<私は近年明治文学の復習をしながら、自己の影を随所に見つけては、
 感慨に耽ることが多い。私が生れる[注:1879年=明治12年]前から、
 当時の理想を示した『文明開化』の語が流布して、文明開化すなわち
 西洋模倣が、各方面に目ざましく企てられていたので、
 [中略]
 当時の著述は大抵は西洋の輸入であった。そういう時代に人間の言語
 と文字を覚え、人間の知識を獲得した私が、知らず知らず西洋憧憬の
 情緒を心の一部に養って来たのは当然であった。
 [中略]
 明治二十年代の[中略]『国民之友』で、[中略]
 あの時代に若い論客が、よくもこんなに外国の歴史に通じ、また外国の
 文学を読破し得られたものだと、驚歎するよりも、私は滑稽に感ずるの
 だが、[中略]
 ユーゴーとか、ゲーテとか、[中略]シェーンキウイッチだとかを讃美して、
 自国の文学者をして、彼らに模範を求めさせようとした。ラファエルの
 聖母や、[中略]永遠の女性などが、早くも輸入されて漱石いう所の
 「チンチクリンの土気色した」東洋青年の一部の敏感な人々の頭に
 憧憬されだしたのであった。明治二十五、六年頃、[中略]創刊された
 『文学界』という新興芸術派雑誌を見ると、あの頃の多恨多情の青年
 芸術家の心境が分るのだ。『文学界』の同人は、今日の新興芸術派の
 ようなスレッカラシでなくって、無邪気で涙脆(なみだもろ)くって、
 幼稚な純真を持していたところに、時代の相違を看取していいのだ。>
(p12~14『明治文壇総評__予が感化されし明治文学』)

 そして、西洋の歴史物語や小説の翻訳が、日本語小説に影響を与えて、
日本の作家たちが誕生してきた経緯が語られる。

 わたしが翻訳小説で育ち、いまだにそれらを読み続けているのは、日本語
文学の歴史に則った、それなりにオーセンティック(?)な行為だったのかと
誤読しそうな箇所であるが、翻訳作品があまり読まれなくなると日本語小説
もまた痩せてしまうのではないか。
 日本文化と呼ばれるものはつねに外の刺激を受けて、それをモディファイ
しながら存在してきたと思う。排外主義、夜郎自大主義がはびこると、文化
の質が歴然と下がる過去を持つ日本国ではないか。(もう忘れたの?)

     (正宗白鳥『新編 作家論』 岩波文庫 2009年3刷 帯 J)

1月19日に続く~





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by byogakudo | 2016-01-15 20:41 | 読書ノート | Comments(0)


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