猫額洞の日々

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2016年 01月 19日

まだ、正宗白鳥『新編 作家論』を読み続ける

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~1月15日より続く

 つまり相変わらず捗っていない。まあ、薄々感じていたことが、
どうやら正しい理解だったようだと分ったくらいで。

 明治以来の日本の近代文学は、西洋の小説や詩の翻訳から
始まった。古典からアラモードまで全部、ほぼ同時に輸入される。
翻訳文学で得た感受性から、自分でも日本語で何か書いてみたいと
欲望し、現在の日本語小説の基礎になった。

 ただし、明治は政治の季節であったから、まずは『佳人之奇遇』や
『経国美談』などの政治小説から始まる。(名前は聞いたことがあるが、
もちろん読んではいない。)
 徐々に、今でいう文学的な小説が書かれるようになったが、なぜ"自然主義"
文学がメインストリームになったのかは、この本からだけでは、ちょっと分ら
ない。なぜ、そんなに"ほんとうのこと"コンプレックスが強かったのだろう?

 まあ、なぜかは知らねど、小説家本人が主人公であり、作家自身が実際に
体験したできごとを、できるだけ非装飾的に(脚色なしに?)記述したものが
日本語小説であり、日本語文学であると、作者も読者も、この頃に約束し合った
らしい。
 読んだことのない、今でもあるのか不明な「ケータイ小説」にまで続く、
"ほんとうにあったことが書かれている。だから感動できる"日本近代文学
の伝統は、こうして始まった(ようである)。

 言葉で記述された時点で、それはフィクショナルな存在になると現在では
了解されているが、この理解は、今でももしかしたら一部のことかもしれない。
それほど"ほんとうのこと"真理教は根強い。

 付箋をはさみ過ぎて、どこだか分らなくなったが、"ほんとうのこと"真理教
に加えて、文学にハウツー性を求める傾向も強い。人生いかに生きるべきかが
書いてあり、自分の人生と比較検討して参考にできるのが、いい文学であり、
立派な小説であり、読んでいる姿を人に見られても恥ずかしくない作品、と
されてきたようである。(最後の条件は、わたしがつけ加えたし、正宗白鳥
自身はこんな風には言わない。)

     (正宗白鳥『新編 作家論』 岩波文庫 2009年3刷 帯 J)

1月22日に続く~





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by byogakudo | 2016-01-19 17:45 | 読書ノート | Comments(0)


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