2016年 01月 21日

ミスフィット・リターンズ

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~1月4日より続く

 二、三日前から『東京新聞』朝刊最終面のコラム『私の東京物語』に、
雨宮まみという女性ライターが書いている。面白そうなひとだ。

 webで見たら、穴の底でお待ちしていますという彼女の連載コラムが
あった。身の上相談の一種だが、ああ言えばこうも考えられる、と
リターンしてラリーを続ける粘り腰の姿勢がいい。

 まず安心して愚痴をこぼせる場をweb上に設定して、吐き出させる。
うかつにツイッターやSNSで愚痴ると、否定や反撃・追撃の嵐に見舞わ
れることがあるらしいので。
 なんか、互いに相手の首を絞め合って、呼吸しようとしているような
時代だと引退者には思えるのだが、そんな時代に現役ならば、それなり
の生き延びる技術が必要だろう。

 いくつか読んでみて思い出した。どこだったか、駅か何かの女性用
トイレットで見た落書きだ。誰かが、「失恋しちゃった! もういや、
死にたい」と書き残した後に、次々と激励の言葉が書かれていた。
 「死にたいなんてだめよ!」「もっといい男、出てくる!」とか、
ともかく頭を上げて生き抜くように勧める、肯定的なフレーズが何人
もの手によって書かれていた。
 そう。女は根本的に肯定性をもつ。

 寄せられた愚痴への雨宮まみのリターンは、あくまでも相手の心に
寄り添いながら(エラそうに見えたらごめんなさいね、と予め謝罪しつつ、
というのが、いかにも今の時代である)長くしぶとく、生きるというラリー
を続けることを勧める。リターンエースを決めてやろうなんてしないで、
あくまでも、多様な場でゲームを続けることを促す。

 女性だから取れる姿勢ではあるだろう。男はともすれば、サーヴィス
エースを決めて短時間のフルセット勝利を目指そうとするから、挫折
しやすく、いちど折れるとリカヴァリーできないと信じ込む。
 場を変えよう、と発想しないのか。そう思っても、近ごろは水に落ちた
狗は狗のエサにしようとする世の中なので、そうも行かないか。

 大体、明治以来の日本国にあっては、女はずっと社会的期待値が低かった。
近年の人手不足で、女も外に出てGDPを上げることを求められるようになった
が、かつては、出産可能年齢に達したら、次世代の再生産を求められるくらい
なものだった(この圧力からズラカり続けるには、かなりの意思がいる)。
 今は両方を要求される。働き手兼母親であるように、と。

 男たちは小さなときから、他より抜きん出てエラくなることを求められる。
彼の意志が本来はちがうところを向いていたとしても、社会的洗脳のせいで、
他を蹴落としてもエラくなることが、自分の欲望であるかのように思いこま
されて生きてきた。それ故の挫折も多々あるのではないかしら。

 天才でなければ生きている資格がない? 天才や秀才ばっかり生き残ったと
して、その中で順位が発生するが下位の優秀さは意味を持たず、生きていても
しょうがない? なんかヘンじゃないか。
 かといって、ありのままのあなたでいい、とか言いたい訳じゃなくて、
生命体は生存を始めると同時に生きていたいと欲望するのだから、それを
認めてやるしかないでしょ、と思うのだ。才能・不才能に関係なく。
 自分の凡庸さを認めたからって、自分が自分でなくなる訳ではない。
たんに、うれしくはないけれど自画像として承認する、だけの話である。
男はそれができない、っていうのか。安倍晋三や日本会議が従軍慰安婦
の存在を認めると、あらまほしい日本の自画像が崩壊するみたいに?

 "自己実現"という言葉の意味が分らない。この言葉を聞くと、未来のある
地点に、"実現された自己"というカニの甲羅みたようなものが転がっていて、
その仮想の甲殻に向かって、脂肪や筋肉を太らせたり減らしたりしながら
(仮想的に)フィットさせようとする身体の映像が浮かぶ。
 だって、こちらは、実現したいセルフイメージが皆無のままの身体で生存して
きた実績(?)があって、そのうちに文字通り身体から水分が失われ、いつの
間にか甲殻化した身体の持ち主になってしまったのだ、本意でも不本意でもなく。

 バレエのK・K夫人とお喋りしていて、
 「近ごろのお母さんたちは、自分が習いたくても習えなかったからって、子どもに
やたらと習い事させるでしょ、向き不向きを考えないで」
 「まれにトンビがタカを生むことはあるけれど、ウリの蔓にナスビは生らないって、
自分と夫のことを考えたら分りそうなものだけれど」と、身も蓋もない会話になった。
 ものにならなくたって、たとえばバレエを習ったおかげで自然ときれいなしぐさを
しているようだったら、それで十分ではないか。

 まあ、こんな台詞を吐けるのは甲羅を経たからなのである。





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by byogakudo | 2016-01-21 20:21 | 雑録 | Comments(2)
Commented by saheizi-inokori at 2016-01-22 10:21
甲羅を仮想できる奴はたいしたもんだ。
ただ、負けまい、やり抜こうと目の前の仕事をやってきて、やっとそのことに気が付きました。
振り返ると、なにをやりたいのかも考えなかった、ただなんとなく”正しく一生懸命に・ときに楽しく”というのはまるで幼子のまま爺化したようなものです。
Commented by byogakudo at 2016-01-22 10:47
昔なら「大きくなったら何になりたいの?」と聞かれていたようなことが、
"自己実現"になったのかなあ、とも思います。生きる、存在するという
身体行動に、予め"枷"を設定してしまって、そこに達せなかったから
自分はだめなんだと決めちゃう、というか。
ある程度、長く生きてみないと見えない、自分の走行距離ってありますね。


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