猫額洞の日々

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2016年 01月 29日

秦豊吉『三菱物語』読了

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 おととい27日(水)、ひとりで中野に、Sの用事で行った。Sがややダウンして
いる。
 すぐ用事をすませ、ここまで来たからと、ブロードウェイ4階、「まんだらけ
海馬」の100円棚を覗く。100円(消費税を入れると108円)均一棚と連続して、
500円から5000円(だったかな? よく覚えていない)までの本が並ぶ棚がある
けれど、こっちは睨むだけ。

 たぶん未読のペリー・メイスン文庫本と、小振りで背ヤケがひどくて題名が
読めない軽装版を取り出したら、秦豊吉『三菱物語』ではないか! 表紙と扉絵
が木村荘八! うれしいな。

 どんなひとかと興味があったのに読んでなかった秦豊吉だが__「粋人酔筆」
シリーズで何か目にしているかもしれないが__、読んでみると(期待していた
ほど)面白いひとでもなかった。

 歌舞伎役者の血筋であるが、いや、それだから逆に堅くなったのかしら、
明治生まれ(青年期は大正時代)らしい律儀なひと、という印象だ。
 40歳まできまじめにサラリーマンを勤め、40歳を迎えて、いや、やっぱり、
やりたいこと・好きなことを仕事にしたいと、きまじめに考え、劇場の仕事に
転職した演出家、翻訳家、その他。

 読みながら、『西部戦線異常なし』と『凱旋門』の区別がついてなかった
ことに気づいて苦笑したが、興味をもつ手がかりのない小説なので、作家と
しては、あまり肌が合わないだろう。(これらとか『風と共に去りぬ』は、
安っぽいメロドラマ風味は好きだけれど、大作風なので、わたしはそっぽを
向いてしまう。)

 三菱合資会社ロンドン支店のベルリン出張所に1917年から26年まで勤務
したので、ハイパーインフレ下のドイツを知っている。この本の初版は1952年
(昭和27年)だが、

< 「貧乏人は麦を食え」と云ったとか、云わなかったとかいう大蔵大臣池田
 勇人の手柄は、ドイツでのインフレーションを体験した者から見れば、何と
 いっても敗戦日本に、あれだけの破局的なインフレーションを食い止めたと
 いうことだ。
  [中略]私らはあの当時にも、もし日本にこれだけの状態が起ったら、内地は
 暴動混乱、それこそ内乱続出になるだろう。しかしドイツ人なればこそ、辛抱
 強く我慢し続けたもので、やっぱり国民性によるものかと思ったのである。尤も
 敗戦後の米国軍の直接管理もあり、事情は余程第一次大戦後とは違う。>
(p126 『恐しいインフレ』)

 判断根拠を"国民性"なぞという曖昧漠然たるものに求めると、いかにいい加減な
言説が発生するかという、いい例かもしれない。

 若いサラリーマン(商社マン)時代の回想である。面識を得た人々の当時の身分・
肩書きを書いたあと、名前の下に括弧して小さな字で、1952年現在の身分・肩書き
も付記される。立派な役職名、錚々たる名前のオンパレードだが、

< 駐独日本代表は、臨時にホテル・カイゼルホーフに部屋を構えていた書記官
 東郷茂徳(戦犯)から、初代大使日置益(元のブラジル大使)に代った。>
(p98『事務所を伯林に』)
__と、ほんとに律儀である。実業家としての事務能力あるいはセンスであろうか。

 1917年ころのドイツで日本支社を置くのは商業都市・ハンブルクが主流だったが、
三菱が初めて、ベルリンに支社を置いた(『事務所を伯林に』)とか、第一次大戦の
敗戦国ドイツから、そのときの勝利国・日本への、大型潜水艦用ジーゼル・エンジン
6台の密輸出(『宝物密輸の苦心』)、押し寄せる日本からの客への応対(商社や
銀行の海外支店は、どうしても私設大使館の役割になる)に忙し過ぎるから、等級
をつけて接待することにした(『紹介状に三階級』)とかが、まあ興味深い箇所だろう。

 アメリカ経由でヨーロッパに向かうとき、スペイン風邪が流行り、乗船中に三度も
水葬を見た__水葬の手順が具体的に描かれる__話(『スペイン風邪』)と、ニュー
ヨーク支店勤務中に妻を亡くした先輩・堀朋近が、

<この夫人の亡骸を、恐らく義理ある両親に見せもせず、異国の灰にしてしまうに
 忍びなかったのであろう。防腐手術(エンバームメント)を施して、内地に送ると
 云い出した。モスクワにおける生けるが如きレーニン像も、このエンバームメント
 手術を施した一例である。>(p39『美男堀の夫人』)
__これも手順が詳しいのは、作家的関心、というのだろうか?
 むかしの日本の男の感受性を想像するのは難しい。

     (秦豊吉『三菱物語』 要書房 1953年3版)


 いまの日本の男の感受性(?)だって理解不能である。大臣は辞任したが
議員辞職はしない、甘利明が内閣府の職員に向けた退任の挨拶で、辞任理由
として、

<「日本経済全体の指揮を執るという大役をお任せいただいたが、責任の
 取り方に対し、私なりのやせ我慢の美学を通させていただいた」>
(2016年1月29日 東京新聞・夕刊2面)
__えっ、"やせ我慢の美学"?! 安くなったものである。

 まだ日本の法律に"司法取引"はない筈だが、すでに"ひとり司法取引"状態を
創り出している、甘利明の弁明である。
 ここまでの罪は認めるから、これ以上の追究は勘弁してくれと言っているに
等しい説明ではないか。これで検察が手を引くようなら、名実ともに安倍晋三の
お仲間である。

 そして甘利明の後任に石原伸晃...。他に誰もいなかったのか?!
安倍晋三は、よくもまあ、ひとを馬鹿にしきって...。
 政局混乱につき、TPP批准の署名を差し控えさせて頂きたい、という言い訳で
引き延ばすことだってできそうなものを。
 





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by byogakudo | 2016-01-29 20:43 | 読書ノート | Comments(0)


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