2016年 02月 18日

表現行為/表現者

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 表現された結果としての作品、それには好き嫌いが生じるけれど、
作品や作者に関して(特に作者に関して)はヒエラルキーを認めない。
誰のどんな作品でも、アートの地平にあっては同等だ。

 加納典明の写真も、ろくでなし子・作品も、バルテュス『ギターの
レッスン』も、クールベ『世界の起源』も、アートという表現行為の領域
では、すべて等し並みに"作品(アート)"である。

 だから、ろくでなし子・裁判での検察側も弁護側も、前提から間違って
いると考える。

<検察側は論告で、「性的刺激を緩和するような高い芸術性も思想性もない」
 と述べ、わいせつ物に当たると指摘。売名行為に過ぎず、刑事責任は重いと
 断じた。>

 <性的刺激を緩和するような>__なんだ、それは。芸術性と思想性と猥褻さ
の三角関係って、なに?
 <高い芸術性も思想性も>、一種、猥褻でもある芸術作品が、美術館の中で
永遠の無関心の棺に納まって鑑賞の対象となるための防腐剤・緩衝材なのか。
 そんなナフタリン・芸術性、座布団・思想性なぞ、あってたまるか。

 弁護側も弁護側だ。彼女の作品は
<芸術活動でわいせつではない>という論拠は、アートを社会に役立つものと規定
する間違いを侵している。アートは、贋金を贋金として贋金のまま流通させようと
意図する、太(ふて)ぇ奴の不逞な行為である。町起こしや村起こしの役に立つなぞ、
アートの名折れであろう。

 いつか書こうと思ってノートしていたのを思い出したから、書いておく。





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by byogakudo | 2016-02-18 20:14 | アート | Comments(1)
Commented by saheizi-inokori at 2016-02-19 10:15
異議なし。


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