猫額洞の日々

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2016年 02月 19日

サマセット・モーム/龍口直太郎 訳『劇場』読了

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~2月17日より続く

 終りのほう、演技論が面白かった。個性的な演技派女優・ジュリアと、
美貌の役者兼劇場経営者・マイケル夫妻のひとり息子・ロジャーは、18歳。
両親の個性や美を(今のところ)引き継がず、くそ真面目に考え込んでいる。

 息子の将来について話すはずが、母と息子が交わす、芸術論・存在論
になる。

< 「[略]あなたには、真実とみせかけとの区別がつかないんですから、
 けっしてお芝居をやめようとはしないんです。もう第二の天性になっ
 ちゃったんですね。あなたは、ここでパーティが開かれると、お芝居
 をする。召使たちにお芝居をする。お父さんにたいしても、僕にたい
 しても、お芝居をする。僕にたいしては、情に甘い、親バカの、有名な
 母親としての役を演じるんです。あなたってものは存在しない。あなたは
 ただあなたが演じる無数の役割のなかにだけ存在するんです。いったい
 あなたっていう人間がいるのか、それともあなたは自分が扮する他人を
 容(い)れるための器でしかないのか、と僕はよくふしぎに思ったんです。
 空っぽの部屋へ入ってゆくあなたを見ると、僕はときどき、いきなり
 ドアをあけてみたいと思いました。でも、もしやそこに誰もいないん
 じゃないかと思うと、ぞっとしたもんです」
 [略]
  「あたしがあなたを愛していることは信じますか?」
  「お母さん流に愛していることはね__」
  ジュリアの顔はとつぜん落着きを失った。
  「あなたが病気だったときのあたしの苦しみをわかってくれたら
 ねえ! 死にはしないかと思って、ただもおろおろしていたのよ」
  「お母さんは、ただひとりの愛児を失った母がその遺骸(いがい)に
 とりすがって泣くというような役をやったら、さぞみごとな芸をみせる
 でしょうね」
  「でもそれは、あたしが、二、三度あなたの枕(まくら)もとで試演
 しそうになったものにくらべれば、それほどりっぱな芸でもないで
 しょうよ」とジュリアは辛辣(しんらつ)な口調でいった。
  「ねえ。あなたは、お芝居というものは自然ではなくて芸術だという
 こと、そして芸術は人間が創造するものだということを理解していない
 のね。現実の悲しみは醜いものよ。その醜いものを、真ばかりではなく、
 さらに美でもって表現するというのが、俳優の仕事なのよ。[略]」>
(p410~415 第二十七章)

 ジュリアが若く無名だったときからの衣装係兼小間使のエヴィーは、
決して客を入れない楽屋みたいな存在だ。召使の目に英雄はいない。
 うぬぼれ鏡の反対、ただひとりのジュリアの非・崇拝者である。

 ジュリアをひたすら想い続け、崇拝し続ける老貴族がいる。ジュリアが
ついに靡いてみせたとき、彼は彼女をそっと拒絶する。ジュリアはそれが
理解できない。彼はゲイだったのか、不能だから拒否したのか、としか
考えられない、あくまでも現実的にしか、解釈できない。
 物語は彼女の視線と思考のラインを外れずに進行する。だから、この
ときも、夢の女を実体化させたいと思わない老貴族の視点は、記述されない。

 この二人の脇役がよかった。モームの、どうだ、うまいだろ・身ぶりが苦手
だったけれど、これはメロドラマ性も含めて楽しかった。

     (サマセット・モーム/龍口直太郎 訳『劇場』
     新潮文庫 2007年23刷 J)





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by byogakudo | 2016-02-19 20:28 | 読書ノート | Comments(0)


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