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猫額洞の日々

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2016年 03月 07日

(2)丹生谷貴志『死体は窓から投げ捨てよ』読了

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~3月1日より続く

 1992年から95年にかけて書かれた文章に、96年の単行本化に
当たり、書下ろし『死体は窓から投げ捨てよ』が加えられた。

 フランス現代思想から遠く離れて生きてきたにも関わらず、そんな
女が読んだのに、鈴木創士氏のエッセイや翻訳書と同じように面白く
読めた、希有な(?)一冊。真ん中近くの『老いの言葉__6 葉叢と
サングラス』、最後から二番目に収められた『造成居住区の午後へ』
が、特に好きかな。

 後者は、郊外論かしらと間違えそうになったが、観念展開が具体的な
イメージで語られる。

<「自然」「人間」との間に、「自然」と「人間」の双方の組織-秩序
 が破綻する場所がある。ジル・ドゥルーズが大文字で「生 La Vie」と
 書く場所はおそらくそこにあるだろう。

  その「場所」は、[中略]難解な場所ではおそらくない。[中略]凡庸な場所。
 たとえば、郊外の造成地を歩いていると、街の区画が途絶え、荒く削られた
 未整理の造成地帯に出ることがある。居住区の区画はそこで曖昧に途絶え、
 造成地区から続いてきた道路は未整理地区数メートルばかり走り込んでいる
 が、その周囲に白いビニールや半ば土に溶け込んだハトロン紙のゴミ袋、千切
 られたグラビア写真、空き缶を縁飾りにしながら、削られた石やアスファルト層、
 黄土色の土ぼこりなどにまぶされて途切れてしまう。たとえば午後の二時頃から
 三時、或いは四時から五時頃にかけて、その時間に無為の散歩を許される者なら
 誰でもが知るように、造成居住区にはただでさえ人影がなくなるのだが(とりわけ
 男たちの姿は......)、その曖昧な、街路が途絶えようとする境界区域にはさらに
 人間の気配がない。ドゥルーズの言う「生」の場所はおそらくそこに現れるので
 ある。>(p103~104)

 こんな風に始められるので、楽しくついて行けたのだ。
 
     (丹生谷貴志『死体は窓から投げ捨てよ』
     河出書房新社 1996初 帯 J)

(1)丹生谷貴志『死体は窓から投げ捨てよ』
(2)丹生谷貴志『死体は窓から投げ捨てよ』






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by byogakudo | 2016-03-07 17:38 | 読書ノート | Comments(0)


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