猫額洞の日々

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2016年 03月 14日

仲田定之助『明治商売往来』1/2

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 仲田定之助。1888(明治21)年、東京・日本橋区元大工町生まれ、
誕生後まもなく日本橋区本材木町(ほんざいもくちょう)に転居。
 文明開化で新奇なものや新しい風俗習慣がどっと押し寄せ(そして
波が引くようにすっと消え)た時代の子ども。
 1922(大正11)年34歳のとき、
<独逸留学、その頃より新興芸術に興味を持つ。デッサウにあったバウ
 ハウスに日本人として最初の訪問者になる。>
(p521『明治商売往来 続』『仲田定之助(なかださだのすけ)年譜』)

 そういうモダーンな人が子ども時代を懐古する。よく覚えていること
ったら。

 『1 みせがまえ』『わんぷらいすしょっぷ』から引用__

< 日本橋通三丁目の西側、いま[注:単行本の刊行は1969年]
 日本信託銀行本社の北角のあたり、交番を隣りにして、"わん
 ぷらいすしょつぷ"と平仮名を横書きの看板を出していた角店が
 あった。
 [略]
 これは半襟、組紐、簪、櫛、笄など婦人装身具を商う安田えり宇の
 店舗で、二十銭、三十銭、五十銭、一円と売価によっていろいろな
 商品を一ところに集めて売る、当時としては珍しい均一店だった。
  あの頃はどこの小売店でも商品には正札でなく、価格の符合が
 つけてあるだけで、客により売値が違い、[略]
 越後屋、白木屋などは看板に特に「現金懸値なし」とうたっていた
 ほどである。このえり宇でも正札販売を厳守していた。そして看板
 には別に"まけぬといふたらほんまにまけぬ"と大書してあった。
 [略]
 少年のわたしにとって、この安田均一店の看板はまことに印象的
 だった。そしてわたしは友達とこの店の前を通るたびごとに"ぷつ
 よしすいらぷんわ"とか"ぬけまにまんほらたふいとぬけま"とか、
 逆さに読んでは意味のない呪文のような文句を早口にしゃべるのを
 興がった。
  木村荘八著『銀座界隈」の序にも、著者が鉄道馬車でこの店の前を
 通るたびに、好奇心をもってこの看板を逆さ読みしたことが書いて
 あるのを読んだが、同時代の少年がした言葉のたわむれの、偶然の
 一致を面白いと思ったことである。>(p072~073)

 木村荘八、日本橋区吉川町両国広小路生まれ、
 1893年8月21日〜1958年11月18日。
 仲田定之助、1888年7月2日〜1970年11月11日。

 本文はもちろん縦書きで、その中に"わんぷらいすしょつぷ"や"ぷつよし
すいらぷんわ"が横書きで混じるから面白いのだが。
 逆読みして面白がるのは、戦後昭和生まれの子どもたちもやったことである。

     (仲田定之助『明治商売往来』 ちくま学芸文庫 2003初 J)

3月15日に続く~





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by byogakudo | 2016-03-14 21:03 | 読書ノート | Comments(0)


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