2016年 03月 18日

永井荷風『浮沈・来訪者』再読を始める

e0030187_1872461.jpg












 写真は近場の散歩で。このお宅に置かれている動物のオブジェは、
どれもいい顔と姿だ。


 荷風のヒロインたちは、たいてい作者から邪険な扱いを受けて
いる。
 「この女は美人で、馬鹿だ。寝る相手としても面白いが、年を
とったら誰も相手にしないであろう」と言わんばかりの扱いだ。

 他の作家なら、「馬鹿なんだけど(そこが)可愛いんだ」と言う
ところを、美人と馬鹿とは同じ比率で述べられる。そんな荷風・
ガールズの中で、『浮沈』のヒロインは、わりとやさしく扱われて
いたように記憶するが。

 物語自体も彼女がオルゴールの音__"the last rose of summer"
の日本語題は、なぜ薔薇から生い茂る白菊の『庭の千草』に代わった
のだろう?__で、短かった穏やかで幸福な日々を思い出すシーンしか
覚えていない。わりと愛らしく描かれた小説と記憶していたら、やっぱり
有為転変の激しい荷風・ガールズ・ストーリーなので、驚いている。
 それに、こんなに細かく場所と時代の設定がしてあったっけ?

 むかし読んだのは新潮文庫の復刊シリーズで、店を始めたとき売って
しまったから同じものを買い直した。(龍胆寺雄の文庫本『放浪時代・
アパアトの女たちと僕と』も売っちゃった。また読みたいけれど2.100円
出す勇気がない。いよいよ図書館行きかと思うが、区の図書館に、あの
全集は揃っているかしら?)

 最初に読んだころ、たぶん1994年だろうが、まだ東の東京歩きを始めて
いなかった(と思う)。ヒロインが毎月10日に、栃木県の実家から亡夫の
お墓参りに来る導入部は、こんなにてきぱきと空間設定されていたのか。

< いつも東武電車で二時間あまりの道程(みちのり)を浅草花川戸の驛
 (えき)へつくと、すぐさま表(おもて)に客待ちをしてゐるタキシで青山
 墓地へかけつけ、そしてすぐ又(また)同じ道を同じ電車でかへるので
 ある。[略]
 発車の時間都合で、たまには松屋百貨店へ上(あが)つて見(み)ることも
 無(な)いではないが、>(p9『第一』)

 "青山墓地"で、ヒロインのかつての結婚相手がいい家柄だと示され、
『第一』p13では千人針風景が出てくるので、時代設定が判る。
 以前読んだときは、"浅草花川戸"はただの地名だったけれど、いまは
どんな空気の街や町であるかが、(歳月は経ていても)ぴんと来る。
 町あるいは街は、登場人物が動くに相応しい場所が選ばれ、彼女たち
や彼らのキャラクターを示す記号でもある。

 次から次へと出来事が起こり、ヒロインは打ち続く荒波に翻弄されるが、
なにかこう、遠くの舞台で演じられる、操り人形劇を観ている気分になる。
と書いたからといって、つくりものじみてる、と悪く言ってるわけではない。
この場合の"つくりもの"はむしろ褒め言葉で、精緻な人工性が魅力なのだ。

 ヒロイン・さだ子が女給時代の朋輩・蝶子を頼って、蝶子が上野池之端
で経営する店を訪ねて相談する場面__

< 店の方からレコードの流行唄が聞えはじめ、お客のはなし聲や女供の
 笑ふ聲が次第(しだい)に賑(にぎやか)になり出(だ)したが、二人(ふたり)
 の坐(すわ)つてゐる二階の一間(ま)には、まだ灯(あかり)さへつけられて
 ゐなかつた。今まで裏窓からさす黄昏(たそがれ)の光に、二人(ふたり)は
 そのまま話にばかり夢中(むちゆう)になつてゐたのであるが、いつの間(ま)
 にか姿見(すがたみ)の面(おもて)に反映してゐた窓の光も消え失(う)せて、
 互(たがひ)の顔(かほ)さへ見えわかぬやうになつた。かと思ふと、隣(となり)
 の屋根越しにぱッと明くなつたネオンサインが窓硝子一面に眞赤(まつか)な
 光を投げかけ、狭い部屋をまた明くしてくれた。>(p16『第二』)

__きれいだなあ。町でなければ起きない、小さなできごと。

     (永井荷風『浮沈・来訪者』 新潮文庫 1994年13刷 J)

3月19日に続く~


 ヨーロッパの近代は神は死んだといって始まったのだろうが、"日本の近代"は
お上(かみ)の交替でしか始まらなかった。個の確立だの、支配に抵抗する意志だの、
生まれるわけなかったか...。





..... Ads by Excite ........
[PR]

by byogakudo | 2016-03-18 20:49 | 読書ノート | Comments(0)


<< 『浮沈』を読了(永井荷風『浮沈...      仲田定之助『明治商売往来』読了... >>