猫額洞の日々

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2016年 03月 21日

阿刀田高 他『銀座ショートショート』読了

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 タウン誌『銀座百点』に、昭和55(1980)年1月号から58(1983)年
12月号まで連載の『銀座ショートショート』、47人の作家による47篇
の銀座に関わる短篇が一冊にまとめられている。作家47人は、四十七士
の見立てかしら?

 東京出身の作家では、虫明亜呂無(本郷区湯島生まれ)の『運河』、
地方出身では、高橋睦郎(福岡県八幡市生まれ)の『同居』がよかった。

 昭和10年代の銀座、『運河』の三十間堀沿いの「窓」という喫茶店に
勤める水の精のような女性、運河の水の色__

< 僕はのちに、運河の水の色が、色名大鑑から、マジョリカと、カントン・
 ジェードと呼ばれるたぐいのものであったことを知った。マジョリカは縹
 (はなだ)であり、カントン・ジェードは広東翡翠(ひすい)である。>(p87)

8月8日に続く~

 詩を読まないので高橋睦郎を読むのも初めてだが、地方出身者の抱く
東京(都会)への意識を、素直にすんなりと綴る(予想外の素直な筆致)
『同居』の感じよさ。近代の自我の形成の物語とも読める。

 他は正直なところ、退屈。あの頃まではあった(と思われる)"文学"
であろうとするが故の臭みとか、『銀座百点』という媒体から逆算して、
気の利いた短篇でなくては、という使命感(?)などが感じられる。

 解説の奥野健男の自伝が、むしろ面白い。

 奥野健男は1926(大正15)年、神田駿河台の浜田病院で生まれた神田っ子、
とまあ、いえなくもないが、

<育った家は山の手の郊外の外れの下渋谷、恵比寿であり、今日[注:1984年]
 も同じところに住んでいる。
 [略]恵比寿に限らず、東京の山の手は武家屋敷が多く、
 [略]その武家屋敷の間にある町家は狭く貧弱で、店もはででなく、昔からの
 日本風の店を芝居の書割りのようにビルディング風の上っ張りのデザインを
 ほどこした悲しい街であり、また仕舞家(しもたや)は何の色もない下見板の
 地味な街並が続いていただけであった。どこを見ても[略]大都会東京に
 住んでいるという感じはなかった。それ故に"原っぱ"などという都会の
 ネガティブの部分に"原風景"を見出したりした。もちろん恵比寿でも、
 秋の氷川神社の祭りもあり、毎月、二の日に縁日もあったがそれは田舎と
 同じだった。ようやく渋谷に七階建の東横デパートが出来[注:1934年]、
 はるか向うの霞ヶ関の国会議事堂の姿が二階から見えたとき、ここも首都
 なのだと思ったものだ。
 [略]
 しかし都市らしい都市の景観はなかった。都市は日常の"ケ"の空間で
 あった。そういう時、都会らしい都会"ハレ"の空間は銀座であった。
 銀座に行けば、毎日お祭りと同じような、ネオンに彩られた店と、当時
 びっしり銀座の歩道を埋めた夜店、つまり縁日の出店があった。世の中
 には、こんな晴がましい世界もあるものだなと幼な心に思ったものだ。>
(p217~218)

 奥野健男の解説の後に、当時(1980年1月から81年8月)の『銀座百点』
編集長、翻訳家・米田敏範による挿話が続く。

<当時の銀座は、大人の街、といえばカッコいいが、中年の街だった。[略]
 若者の興味をひかない町だった。それでは、街は衰退していくではないか
 という危機感は私だけではなく、銀座を愛する多くの人が抱いていた。
 [略]
  「場所は、小説に登場して初めて、強い生命を与えられる」__と、
 当時も今も、私は信じている。上質の作品の中に銀座の店や建物が登場
 すれば、小説の感銘はいつまでも心に残り、店や建物も読者の心の片隅
 に残る。>(p229~230)

 というわけで、この短篇集の元ができあがった。

     (阿刀田高 他『銀座ショートショート』 旺文社文庫 1984初 J)





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by byogakudo | 2016-03-21 20:49 | 読書ノート | Comments(0)


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