2016年 04月 13日

グレアム・グリーン/加賀山卓朗 訳『ヒューマン・ファクター』(再読)読了

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 古本案内処に2冊あった。むかし読んだ(はずである)宇野利泰 訳と、
こちらの新訳と。冒頭を大急ぎで読み較べ、再読だし、活字が大きいし
(これが、いちばんの理由)で、新訳にした。

 感激した記憶があるのに、二重スパイの話よね、としか覚えてないのは、
なぜなの? その頃は感想文を書かなかったから、散漫な読み方をしていた
のだろうが、しかし、読後に感想文を書くための付箋片手に読み、引用文を
多用しながら書き終えると、潮が引くように脳のヒダから消えてゆくのは、
なぜ? だから、なおのこと、記憶があるうちに感想文を綴らなくっちゃ。

 こんなに本の話が出てくる小説だったのかと、おどろく。

 ソーホーのいかがわしい界隈に古本屋が2軒。父と息子でやっている。
父が古典文学系、息子が場所柄に合ったポルノ系。イギリスの情報部・
アフリカ部門に勤める二重スパイである主人公、カッスルは、文学系
古本屋によく顔を出す。『クラリッサ・ハーロウ』に『戦争と平和』を
買い、息子のほうの店に『ムッシュー・ニコラ』を売りたいというと、
<「レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ作、ロドカー社の限定本ですな。[略]」
(p75)と、答えが返る。

 『戦争と平和』がなかなか進まないので、何か戦争と関係のない本を
推薦してくれと頼むと、
<「それならトロロープがあります」>(p166)

 アンソニー・トロロープ。名前は知っている。もちろん、読んだことはない
(『クラリッサ・ハーロウ』も『戦争と平和』も『ムッシュー・ニコラ』も...)。
 トロロープは主人公の上司__生まれながらに社会の上層部に属し、命令・
指揮系統に座す。彼の人生で手が汚れることはない。ときに悔恨はあっても
__が読んでいる。このシーンの二重写し的描写がすてき。

 週末、田舎の書斎で上司、ハーグリーヴズはトロロープを読む。西アフリカ
に勤務していたころからトロロープを愛読するようになった。

< その日の午後は、しばらくいつものようにすらすらと読み進めた。
 トロロープはいつもそうだ__穏やかなヴィクトリア時代、善いものは
 善く、悪いものは悪く、誰もが簡単に両者を見分けられる。子供でも
 いればちがった考えを抱いたかもしれないが、子供はいなかった。
 ほしいと思ったことは一度もなく、妻も同じ考えだった。
 [略]
 ともに子供に無関心であることが、ふたりの愛を深めていた。夫が
 ウィスキーを傍らに置いてトロロープを読むあいだ、妻は自分の部屋に
 入り、同じくらい満ち足りた気分でお茶を飲む。これがふたりの平和な
 週末だった。[略]
 彼はアフリカにいる自分を想像することができた。勤務地を遠く離れ、
 いつも大いに愉しむ長旅の途中で立ち寄った密林の休息所にいる
 ところを。[略]
  彼は[注:トロロープの]メルモット老人が出てくるところを読んでいた。
 議員仲間の見立てでは詐欺師だ。メルモットは下院の食堂の席についていた
 __"彼を追い払うことは不可能だった。隣の席につくことも同じくらい
 不可能で、ウェイターですら給仕するのを嫌がった。しかし彼はひたすら
 辛抱して、やっと食事にありついた"。
  ハーグリーヴズは思いがけず孤独なメルモットに心惹かれた。そうして
 パーシヴァル[注:部下の医師]がデイヴィス[注:カッスルの同僚。二重
 スパイと疑われた]への好意を口にしたときに、医師に言ったみずからの
 ことばを思い出して後悔した。>(p344~345)

__以下、静かな週末を終わらせる電話がかかってくるまで、読んでいる
トロロープからの引用とハーグリーヴズの思いとが交互に記される。
 本を読みながら他のことごとが頭に浮かぶ、よくある状態が、さりげなく
記述されている。

 主人公、カッスルは(旧)ソ連に亡命する事態になるが直前まで、トロロープ
『今生きること』を読む。偶然にも上司と同じ本だ。
 その他、英文学史に名高い(従って、わたしは名のみ知るのがほとんどの)
作者と作品名が織り込まれた小説、という紹介もできるのだった。

 まったく、よく、ここまで忘れることができたものだ...。

     (グレアム・グリーン/加賀山卓朗 訳『ヒューマン・ファクター』
     ハヤカワepi文庫 2006初 J)





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by byogakudo | 2016-04-13 22:21 | 読書ノート | Comments(0)


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