2016年 04月 16日

水上滝太郎『銀座復興 他三篇』読了

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~4月15日より続く

 全4篇の脱稿年月日と発表紙誌は、
「九月一日」(大正12=1923年11月23日、「随筆」1月号)
「果樹」(大正14=1925年11月8日、「中央公論」12月号)
「遺産」(昭和4=1929年12月1日、「三田文学」1月号)
「銀座復興」(昭和6=1931年1月頃、「都新聞」3月15日~4月16日)
だが、この文庫では、
「銀座復興」「九月一日」「果樹」「遺産」の順で収録されている。

 1923・9・1以後書かれた関東大震災に関連する小説(「果樹」は違う)
を、2011・3・11の後、いわば再発見、再編集したような短篇集だ。
 ただ、大震災のとき、原発はなかった。たしかに、文明が進むほど、自然
災害による被害は大規模になるので、「銀座復興」のように、ともかく前進
しようと意気込んで、やってのける気力は、出しづらい。
 から元気を出して、減災の方向へ考え方を持っていくのが、いまの"復興"
であり、気力の出し方ではないかしら。

 水上滝太郎は冷静に社会を眺める。「銀座復興」には当時の典型的な
人々が登場する。

 天譴論を唱える老国粋主義者、いかにも安い新聞記者、無口な敗残者、
軽佻浮薄で生きてきたのに気弱になり、郊外(荻窪)に引っ込もうとする
老舗の若旦那、その友人である山の手住まいのインテリ勤め人(話者)、
そして独力ででも銀座を復興させようとする、非インテリ・大衆の力を代表
するかのような、はち巻き岡田・主人。

 誰に対しても、決めつけない、距離をもった客観的な描き方である。
その結果、日本の近代の男が何か決心してことを起こそうとすると、
得てして言葉が大きく空疎になる傾向が、よく見てとれるし、発語の
社会性もよく分かる。
 たとえば話者は、友人の気を引き立てるために、自分が信じる以上に
復興への熱意を語る。(繰り返すが、原発以前だから、得られる肯定性
とも言えよう。)

 焼けて野っ原になった銀座の夜景描写がある。
< 残暑の長い九月だが、夜は流石(さすが)にひいやりと、海から来る
 風が通って、暗いあかり[注:電気が復旧してないので、ランプを使う]は
 ひとしきり明滅し、やがておさまって、人々の酔顔を照らした。
 [略]
  追剝(おいはぎ)が出る、井戸に毒薬を投込む一群がある、爆弾を以(もっ)て
 焼残りの区域を破壊しようとする一味があると、流言飛語(りゅうげんひご)の
 盛んな折柄(おりから)だ。>(p78)

 社会的下層に位置する雄の権力意思が発露する自警団は、「遺産」に出てくる。
 士農工商のほぼ8割を占めた農民階級の末裔たちは、明治以来の四民平等・教育
にも関わらず、いや、建前上の平等だからなおさら憤懣が溜まり、悪意は、より
弱者に向かって噴出するのが近代の伝統ともなって、現在のヘイト・スピーチや
ネット右翼の群れにつながるのだろうか。

 どんな社会であっても権力意思は行使の機会を待つ。上野でハンマースホイを
見た帰りだったか、新入りを殴る先輩ホームレス男性を見かけたのだった。

     (水上滝太郎『銀座復興 他三篇』 岩波文庫 2012初 J)

4月18日に続く~





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by byogakudo | 2016-04-16 23:28 | 読書ノート | Comments(0)


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