2016年 04月 27日

三島由紀夫『お嬢さん』読了

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 昨日は失礼しました。一昨日の散歩のクールダウンを試みては
歩き過ぎてオーヴァヒートする、パターンでした。
 写真の猫が、一昨日の待ち構えていた彼/彼女。

 角川文庫版『お嬢さん』のジャケットデザインは、袖に國枝達也
(角川書店装丁室)とあるが、批評的なデザイン、まさにその通りと
言いたくなる。
 平(ひら)で見ると、右上と左下隅に花柄パターンを覗かせ、真ん中
より気持上に横書きで"三島由紀夫"、その下に小さく"Mishima Yukio"、
さらに下に著者名と同じ大きさで"お嬢さん"。パッと見、三島由紀夫が
お嬢さんであるかのような印象を与えて、その感覚は正しい。

 1960年、「中央公論」に『宴のあと』を連載していたのと同時期、
「若い女性」(講談社)に『お嬢さん』を連載していたと、解説にある。

 そういえば、むかしは"純文学"というのと"大衆小説"というのと、
文学ないし小説には二種類あり、両者は確然と分けられていた。映画
スターとTVスターのランク分け以上の厳しいコードだった。
 大蔵官僚出身でありハイカルチュアの文学者でなければならな
かった(と作家本人が生家を忖度しながら、自分の欲望と他者の
欲望とを混同させて思いこんでいた、とわたしは解釈するが)三島
由紀夫がエンタテインメントを書くからには、やはり文学者らしい
態度で臨まなければならない。そこらの大衆小説一般と間違えられ
ない、クオリティあるエンタテインメント。

 だがしかし、読者層を予想しながら書き出したとしても、手抜きの
才能があまりないであろう、躾のよい人柄と思われる三島由紀夫であり、
なにより書くこと自体が彼を連れてゆく。
 "純文学"作品よりラフな構成であることが、構造の緊密さに覆い
尽くされない魅力__期せずして出てしまう自画像性__を見せる。

 そうとでも考えなければ、あの有栖川宮恩賜公園で展開する、長く
濃密な求婚のエピソード(11章と12章)はあり得ない。そこまで熱を
入れて、ノッて書くのか。

 夕ぐれから夜にかけての公園、水呑場の小さな噴水の水の煌めきを
幾度となく瞬かせて詠われるアリア。わたしが知性溢れる坊ちゃん育ち
ではなくて、知的で分析的な嬢ちゃんだったらよかったのになあと、
作者が思っているのではないかと、読者は思う。

 ヒロインの美人のブルジョアお嬢さんは、知的な女性であらねばなら
ないと決意しているので、どんなときでも心理分析から離れられない
"近代"女性である。彼女に仮託して"近代"の男性作家・三島由紀夫が
語っている構造だ。

 玉葱の皮を剥くような心理分析行為の記述は、これも期せずして、三島の
他作品のヒロインたちの心理分析官ぶりへの批評に通じてしまう、人生経験
に裏打ちされてない若い女性の、頭の中だけの分析行為だ。
 物語の終わり近く、恋敵から突然、機械仕掛けの神に変身して、強引に話を
終わらせる女店員は、シンプルマインデッド故に、下品なまでのエネルギーで、
お嬢さんのひよわな心理分析官ぶりを粉砕する。三島もそういう存在に憧れて
いたのではないかと、読者までも凡庸な心理分析に走らせるのである。

     (三島由紀夫『お嬢さん』 角川文庫 2010初 J)





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by byogakudo | 2016-04-27 20:10 | 読書ノート | Comments(0)


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