猫額洞の日々

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2016年 05月 04日

大井廣介『紙上殺人現場 からくちミステリ年評』いまだ1/3弱

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 夜は疲れていて読む体力がないこともあるが、ほとんどが読んだことの
ない、名前さえ初めて知った作家と作品の評価を読み続けるのは、予想して
いたより大変でもある。できるだけ、一年分をひと晩で読み終えたいが、
なかなか困難。

 『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』(のちに『(ハヤカワ)
ミステリ・マガジン』)連載のミステリ批評を、著者の死(1976年)後、
1987年に文庫化、『1960年の現場』から『1966年の現場』まで収録。

 猫も杓子も、という日本語があった。戦前からの探偵小説作家、"純"文学
系に大衆読物の作家まで、職業作家全員に、"推理小説"と新たに命名された
ミステリを書かせようという時代があった、という知識はあったが、ほんとに
盛んだったようだ。

 ふっと、"中間小説"なるネーミングも思い出したけれど、これとミステリ・
ブームとは関係しているのかしら?
 読んだことがない__だって、なんだか暗そう、重そう、楽しくなさそう__
けれど、松本清張ブームとミステリ・ブームは関連があるだろうか?

 (おもに)殺人事件が起き、犯人や犯行方法の謎が解かれるまでを描くのが
探偵小説あるいは推理小説だが、事件には、その起こる場所・背景が必要だ。
あまり一般に知られていないような背景には、その説明(情報)も必要になる。

 職業はサラリーマンと答える中間層が増えた戦後の経済成長期に、彼らの
短くはない通勤時間のお供に、手軽な暇つぶしに、と供給されたのが、風俗
小説や企業小説、情報小説部分を加味しやすいメディアとしての、猫と杓子
の"推理小説"ではなかったのかしら?

 むかしからのミステリ・ファンである大井廣介は、空前のミステリ・ブーム
にひとこと言いたい。謎の解明以外の部分が多くなり過ぎ、水増しされ、べつに
殺人事件がなくても済みそうなのに、無理やり殺人事件が挿入される(推理小説
=殺人事件という固定観念があるから)、書かれなくともよかった類いの推理
小説の氾濫に、もの申したいのだ。
 底部は死屍累々たるありさまだろうが、裾野が広がった分、頂点が高まる、
ということは起きなかったのだろうか?

     (大井廣介『紙上殺人現場 からくちミステリ年評』
     教養文庫 1987初 J)

5月30日に続く~





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by byogakudo | 2016-05-04 21:12 | 読書ノート | Comments(0)


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