猫額洞の日々

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2016年 05月 06日

奥本大三郎『斑猫(ハンミョウ)の宿』読了

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 セミ取りも昆虫採集もしたことがない。中学の夏休み、宿題で植物採集を
出されたが、やる気が起きず、休みの終わりに急いで採って、生乾きを標本
として提出して叱られた。ピクニックと聞くと、サンドイッチを食べてるとき
に蟻が這い上がってきそうでいやだ。自然は苦手である。
 そんな奴だが、奥本大三郎のエッセイは好きだ。本は言葉で書かれている。

 JTBの月刊誌「旅」に平成十年(1998年)6月号から平成十二年(2000年)
4月号まで隔月連載された(奥本大三郎は西暦と和暦を混合して用いる)紀行
文集を2001年にJTBより単行本化、2011年に中公文庫になった。

 日本列島を北から南まで、昆虫の旅だ。旅の実行プランを立て、レンタカーを
借り、運転してくれる編集者・入江青年とのふたり旅ということで、奥本大三郎は
内田百閒『阿房列車』を思い出す。
 "入江"から連想するのは、"入江侍従長"と"イリエワニ"。イリエワニをもじって
入江の王仁(わに)君と呼ぶことにして、20世紀末の日本各地の旅が始まる。

 それは結果的に土建屋国家のレポートにもなる。一日に何台の車が通るのか、
費用対効果の疑わしい道路網、川の流れの強制的補正__

< 河川だけでなく干潟は干拓し、海岸線はコンクリートで固める。工事関係の
 人は、まだ自然のままの川を見ると、「おっ、金になりそうな川だ」と言う
 そうである。
  税金を費って工事をする時、建設業者と、工事を発注する役人とのあいだに、
 [略]知らず知らずの中に癒着が生まれるというようなことにはなっていないの
 だろうか。業者から役人にリベートのようなものが渡り、あるいは役人が後で
 その会社に天下りをするというようなことが、果たしてないのだろうか。[略]
 造成工事を推進する時のあの強引さ、熱心さの裏にあるものが、国を良くしよう
 とする情熱ばかりとは、いくら私のような愚民にも信ずることは出来ないのである。
 [略]

  現代の河川改修や河口堰の建造、干拓地の造成でも、それを推進した人の名
 はあまり残らぬようであるけれど、本当はコンクリートの大きな碑でも建てて
 それを少なくとも百年ぐらい残せばよいと思う。
  昔は暴れ川の改修工事に私財をなげうち、身命を賭した人物の顕彰碑などと
 いうものがあったけれど、今も、それが善い事と信じてやる人のことは、やはり
 何らかの形で残すべきではあるまいか。その工事が人の命を洪水から救うもので
 あったか、単に仕事を増やし、ムツゴロウの死をもたらしただけのものであった
 のか、碑を建ててゆっくり皆が検討するようにすればよいのである。それとも
 官というものは、いつも顔の無い不気味なものなのであろうか。>
(p82~83、p89 『{第四章} 四万十・足摺の巻』)

     (奥本大三郎『斑猫(ハンミョウ)の宿』 中公文庫 2011初 J)





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by byogakudo | 2016-05-06 19:26 | 読書ノート | Comments(0)


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